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濁浪清風
「願に生きる」ことと「場所」の問題(4)
 親鸞は「欲生心成就(よくしょうしんじょうじゅ)」を大悲の如来の「回向心」成就として明らかにしている。「欲生」を「回向心」であるとしているから、その成就は「回向心」の成就だということである。すなわち、成就文の「至心回向」の内容が、「願生彼国 即得往生 住不退転 云々」であるというのである。それによって、「現生」に「不退転」、すなわち「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」が与えられるとするのである。それを「行巻」では「絶対不二の機」という。
 このことを別の角度から考察したい。法蔵菩薩の本願の中心が、「念仏往生の願」と名付けられた第十八願にあることは、『無量寿経』の了解の歴史から明らかにされたことである。そのことは、法然もこの願を「王本願」であると言っていることからも伺えよう。しかしこの願には、「至心信楽欲生(ししんしんぎょうよくしょう)」という言葉がある。この願が「念仏」の願だといえるのは「乃至十念(ないしじゅうねん)」という語があることによるのである。善導は本願文からこの「至心信楽欲生」を外して「乃至十念」を「下至十声(げしじっしょう)」と変換した。それが「設我得仏 十方衆生 称我名号 下至十声 云々」という『往生礼讃』の文である。これを曽我量深は「本願復元の文」だと言われたのである。
 この文を親鸞は、法然からその真影の讃に書いていただいている。「仏の名号」の選択が、確かに法蔵願心の大悲によるのだということは、二十九歳の入門の時に親鸞は、はっきりと納得したに相違ない。しかし本願に「至心信楽欲生」とあることについては、外して良い言葉をなぜ本願に誓うのかという疑問が残っていたのではないか。そのことと、『観無量寿経』の「三心」の了解に潜(ひそ)む謎とが重なってきて、『教行信証』「信巻」の開設になったのではないか、と推察されるのである。
 つまり「自力の三心」を翻(ひるがえ)して「他力の一心」に帰していくという展開を、この謎解きによって解明したのであろうと思う。そして、「行の願」は「讃歎」を語る「諸仏称揚(しょぶつしょうよう)の願」(第十七願)であることを確信して、「至心信楽欲生」の言葉には、真実信心を衆生に誓う大事な意味があることを明示できたのである。信心の中に「三」という契機があり、これが「真実信心」にとって特別な意味があることを、「信巻」の三一問答(さんいちもんどう;第十八願の三心と『淨土論』の一心との関係を明らかにする問答)において解明されたのである。
 そういう親鸞のご苦労が背景にあることにおいても、さらに我らにとってはこの「欲生」がなぜ問題になるのかということを少し説明しておかねばならない。それは、もしこれが衆生に対する要求であって、衆生がそれを引き受けて自分で「願生」するのであるとするなら、「願生」の質に衆生の意識の状況からくる「雑毒雑心(ぞうどくざっしん)」の影を排除することができないのではないか、という問題があるからである。(2010年9月)
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