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濁浪清風
「願に生きる」ことと「場所」の問題(6)
 天親菩薩の「五念門」(礼拝<らいはい>・讃歎<さんだん>・作願<さがん>・観察<かんざつ>・回向<えこう>)は、先の四門は自利の行であり、第五番目の回向門が利他であるとされている。つまり、菩薩道の課題である「自利利他」の行が、「五念門」として語られているのである。その自利利他という課題の実践について、「自利」と「利他」とが、「自利にあたわずしてよく利他するにはあらず」、「利他にあたわずしてよく自利するにはあらず」(『真宗聖典』193頁)であって、同時交互の成就なのだと、論主(ろんじゅ)天親が言っている。これは『無量寿経』の法蔵願心の物語における「兆載永劫(ちょうさいようごう)」の修行とその成就を、論主天親が引き受けて五念門という独自の形式として表したのだ、と親鸞はいただいた。だから、その大悲の「回向」成就に由って、衆生に「一心」が発起するのだ、と読み取られた。それによって我ら群生が「一心」によって「済度」される道が開かれて来た。それを「為度群生彰一心」(群生を度せんがために、一心を彰す)(「正信偈」)と親鸞は表現されたのである。
 さらに、信の内に大悲心の「回向」を受けていることによって、我ら凡夫のこころに起こっている信心が「金剛心」であるとも言う。この金剛心の生きる場は、じつは「生死罪濁(しょうじざいじょく)の群萌」のところである。願によって金剛であることと、その生きてはたらく場が「五濁悪世」であるということが、一体不二であるところに、「愚禿(ぐとく)」の身の自覚が歩みを止めることがないという必然がある。
 このことを、善導の二河譬(にがひ)の「群賊悪獣(ぐんぞくあくじゅう)」の釈をとおして、曽我量深が「群賊悪獣とは十方群生海、すなわち五蘊所成(ごうんしょじょう)の自己自身である」と言われたことがあった。一応は、道を求めて「西」に向かう修行者に対して、それを妨げたり、誘惑したりする「悪友・悪知識」と「群賊悪獣」とは、外部からはたらくもののように考えられるのであるが、善導はこの「群賊悪獣」は「衆生の六根・六識・六塵(ろくじん)・五陰(ごおん)・四大に喩(たと)」(『真宗聖典』220頁)えているのだと言っている。つまり、我らの存在を構成している身体や意識のありかたそのものが「群賊悪獣」なのであると喩えているというのである。それによって、「群賊悪獣」が我らの存在の構成要素である「身体・環境」を保持する根本主体、唯識のいう「阿頼耶識(あらやしき)」それ自身の喩えでもあると考えられるのである。
 すなわち、「群賊悪獣」とは「十方群生海」でもあり、すなわちこの私自身でもあるのである。この確認によって、「衆生貪瞋煩悩中能生清浄願往生心」(衆生の貪瞋<とんじん>煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ぜしむる)(『真宗聖典』220頁)とは、群賊悪獣の中から「白道(びゃくどう)」を発見して歩み出す「本願成就の信心」が、「五濁悪世」を生きる衆生にとっての真実の新しい主体の意味をもつのであるということなのではなかろうか。(2010年11月)
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