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濁浪清風
「願に生きる」ことと「場所」の問題(8)
 「自利利他(じりりた)」とは、大乗菩薩道における重要課題の端的な表現であると言えるのだが、現実には人間関係は「自害害彼(じがいがいひ)」として現象することが多く、真に自他ともに平穏で満ち足りた命を感じつつ生きることは至難である。だから、この課題は、言うは易く実行は困難至極となるのである。それにもかかわらず「自利利他して速やかに無上菩提を成就しよう」(『浄土論』)とすることはいかにして可能なのであろうか。この難問の前で、龍樹も世親も一般の自力の仏教の教え方をはみ出して、「本願力」の場たる阿弥陀の浄土を要求せざるをえなかったのだ、というのが曇鸞(どんらん)の見方である。
 そのとき曇鸞は「自利利他」というが、「利他」というのは衆生には当てはまらず、如来においてこそ言うことができるのだ、という注釈を加えている。衆生からすれば「他利」とは言える、と。つまり衆生にも他の衆生が利益を得るように願うことはできるが、本当に他を救済することができるのは無限なる大悲のはたらきのみなのだ、というのである。「他利」とは「他が利益される」ということであり、利益するのは「大悲」のはたらきなのだ、というのである。ソクラテスの言うところの教育と同じような関わりである。教育するのは、真理それ自身であって、師匠はそれの縁になる。水の縁(ふち)まで連れて行くことはできるが、水を飲むのは本人に、水を飲む能力やその意欲がもよおすしかない。「真実」に気づくのは真実それ自体のはたらきかけを感ずるしかないということである。
 この真実からのはたらきかけを、自力を超えた「他力」からの増上縁(ぞうじょうえん)であると教えているのである。そして、この増上縁の開示される場を「阿弥陀の浄土」として語るものが、『無量寿経』の物語であり、法蔵菩薩の本願の開示なのである。この物語の意味を親鸞は、「一如宝海(いちにょほうかい)よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて」と仮名聖教で語っている。色もましまさずかたちもましまさぬ法性(ほっしょう)を、「願心荘厳(がんしんしょうごん)」の浄土というかたちで説き表して、一如から衆生への「利他」の願心を、「方便法身(ほうべんほっしん)」のかたちで知らしめるのである。これによって、意識の事実としてはいかにしても人間に体感できない「自利利他」具現の状態を、本願他力が開く場への参入というかたちで、一挙に万人共通の存在の故郷とするというのである。
 ここへ来たれ、と呼びかけ続ける意欲を「如来招喚(しょうかん)の勅命」と表現して、これを存在の根底からの持続力として、衆生が利他の願心を受けとめるまで歩むことができるのであることを示すのであろう。(2011年1月)
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