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濁浪清風
「願に生きる」ことと「場所」の問題(9)
 「自利利他」の同時的な成就を菩薩道の目的に掲げた大乗の仏道は、『華厳経(けごんぎょう)』において「善財童子(ぜんざいどうじ)」や「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」の物語に見られるように、菩提心をもって歩み続ける人間像を教えている。この人間像は、念々に菩提心の確認がなされつつ、どこまでも歩み続ける願心を求めて止まない姿として描かれている。
 そして、一方で衆生がさとりを開こうが開くまいが、増えることもなく減ることもない真如・一如・涅槃(ねはん)というような内容をもった「法身(ほっしん)」としての如来を語る『涅槃経』が、大乗の「大経」として学びの中心に置かれてきた。その日本における学場の中心であった比叡の山で、一乗思想を自己に具現すべく求道していた親鸞は、この『華厳経』の人間像と『涅槃経』の理念とを自己自身のうえに合致させるべく悪戦苦闘していたと思われるのである。後に『教行信証』に引用される膨大な文献の読み込みからすると、その課題を、浄土教によって成就することができるかもしれないというところまでは、尋ね当てていたのではないかと拝察されるのである。
 このたゆまぬ菩薩道を成就しうるという確信が定まるのを、「不退転」とか「正定聚(しょうじょうじゅ)」という言葉で呼びかけ、成仏の必然性が自ずから確定されるようなはたらきを、浄土という場所のもつ功徳として語りかけることが、法蔵菩薩の本願の内容に成っている。そして、その必然性は「必至滅度(ひっしめつど)」の願のもつ大切な意味であると明らかにされたのが、曇鸞の『論註』の仕事であった。先月触れた龍樹・天親も願生せずにはおれなかったということには、この必然性を自分の自力の努力では確信できないという、菩提心自身の隘路(あいろ)にぶつかっていたということがあったと拝察されよう。
 『浄土論』において天親菩薩が、五念門というかたちで菩薩行をまとめて、その行の成就をもって阿弥陀の浄土に往生して、阿弥陀仏を見たてまつることを得るのだと語りながら、その五念門行の果に「五功徳門(ごくどくもん)」を開いて、第五回向門の果徳としての第五の功徳門を「園林遊戯地門(おんりんゆげぢもん)」と名付け、煩悩の林に遊び、生死の園(その)に入って、衆生を仏道に導く「利他」の仕事を自由自在にできるようになることを語っている。つまり浄土という場所は、自己存在の成就が同時に、一切衆生を解放しようとする願心が歩み続ける場所なのである。この『浄土論』の形式は、『華厳経』の語ろうとする行願を、『無量寿経』を通して成就しようとするものだ、ということである。
 しかし、親鸞にとってはそこに大きな謎が残っていた。それは、愚かな凡夫に「専修念仏」をもって「必ず往生する」と説く法然上人の教えが、どうしてこの『浄土論』の五念門行に相応すると言えるのか、ということである。選択本願(せんじゃくほんがん)の念仏なるがゆえに、念仏をもって「正定業(しょうじょうごう)」だとする善導・法然の教えと、『浄土論』の五念門とはいかなる関係になるのか、ということである。(2011年2月)
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