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濁浪清風
「願に生きる」ことと「場所」の問題(12)
 こうして、善導が言う「安心(あんじん)・起行(きぎょう)・作業(さごう)」の内容たる「三心(さんじん)・五念(ごねん)・四修(ししゅ)」には、『観経』の顕(けん)の義に当たる「定散(じょうさん)自力の心」の問題があり、この自力の心が本願の心に照らし出されて初めて、願力成就の利益(りやく)に恵まれるのだ、と親鸞は決着できたのであろう。そのことによって、三心は「自力の三心ひるがえし 如来利他の信心に通入」していけるのだし、五念行はすべて法蔵菩薩の大菩提心の願行(がんぎょう)でなければならないと気づかれたに相違ない。四修は自力心のまじめさの持続ではあるが、利他の大悲にとっては無用となる。
 本願の機としての歩みには、悲願それ自身の深い配慮から、自力の作心(さしん)を養わせて、有限な人間存在がその作心の躓(つまず)きをくぐることにより、大悲の願海(がんかい)に帰入せしめていくということがある。その悲願のおおいなるはたらきに乗託(じょうたく)するときに、いよいよ自力の執心(しゅうしん)の深い心と身、罪業深重(ざいごうじんじゅう)の宿業の存在がいやというほど自覚されてくることになる。安心の成り立つ場には、願力の保持する力があるに相違ないのだが、そこに腰を落ち着けることができずに、もじもじと自力の作心に揺り動かされるのが、凡心(ぼんしん)なのである。だから、『歎異抄』第九条にあるような、唯円の問いが起こらざるをえないのである。
 法蔵願心を自己の立脚地とするということには、このたぐいの凡心の愚かさを、小さく反省することなど必要ではない。この小心を大きく包む大地のごとき大心海を信ずるのである。「煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」と感じるのは、見えざる大心海のはたらきを信ずるからである。
 「樹心弘誓仏地(じゅしんぐぜいぶつじ)」(心を弘誓の仏地に樹<た>て)ということは、こういう自力心をも見通している「弘誓」に信頼して、そのはたらきを「大地」として立ち上がることを表すのであろう。自己の本来の安心の場は、自分を超えた大地にある。自己の小さな心中に安心を求めても、見いだせるはずがない。だからこそ、弘誓の大地を本願選択(ほんがんせんじゃく)の物語によって呼びかけ、この大地に向かって一心に帰入せよと勧められているのである。
 その呼びかけを内に蓄えた言葉が、阿弥陀の名号となっているのではないか。したがって、この名号が衆生の生死海(しょうじかい)を度(ど)す大船(たいせん)ともなり、五濁の海に浮かぶ筏(いかだ)ともなると言われるのである。ひとたび大海が荒れ狂うとき、人間の傲慢(ごうまん)な思いは砕け散り、有限なる存在は荒波にもまれてなすすべを失う。この時にこそ、生存在にとってこの筏が命の便りともなり、向こう岸の見えない濁浪(だくろう)をも易々(やすやす)と度す大船のはたらきとなり、それが名号の意味として深く頷かれるのではなかろうか。(2011年5月)
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