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keyword:ブッダ最後の旅、阿難、第一結集
Vol.190 再び王舎城へ―阿難最後の願いと第一結集の開催― 親鸞仏教センター研究員 戸次 顕彰


 私事だが、仏教を研究するとき、律蔵などの戒律文献を読むことが比較的多い。これらには、高度な思想や哲学ではなく、現実の釈尊教団で起こった事件が多く記載されている。ここから、釈尊が目指していた理想のサンガや、仏教の方向性を読み取っていかなければいけないと思っている。とはいえ、私が研究対象としている文献の性格もあって、私の頭の中も何か思想的に難しいことを考えるというようなトレーニングを積むことができていないことは日々痛感することである。

 そうであっても、物事を現実的に具体的に考えることによって、時には気づかされることもある。つい先日あらためて、釈尊最晩年の言葉と足跡が記録される『ブッダ最後の旅』(中村元訳、岩波文庫)を読む機会があった。もちろん学生のときに初めて読み、これまでも何度か目を通す機会はあった。この本の終盤、釈尊が間もなく臨終を迎えようとしている中で、釈尊が号泣する阿難(あなん/アーナンダ)に対して、およそ存在するものは必ず滅びるという道理を説いたあと、これまで侍者として支えてくれた阿難に対して次のように述べるシーンがある。

「アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来たれる人(=ゴータマ)に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」 (中村訳前掲書137頁)
「修行僧たちよ。過去の世に真人・正しくさとりを開いた人々がいた。それらの尊師たちにも侍り仕えることに専念している侍者たちがいて、譬えば、わたしにとってのアーナンダのごとくであった。修行僧らよ。また未来の世にも、真人・正しくさとりを開いた人々があらわれるであろう。それらの尊師たちにも最上の侍者たちがいて、譬えばわたしにとってのアーナンダのごとくであろう。」 (中村訳前掲書138頁)

 これまで釈尊は阿難に対して、身近な存在だからこそ多少厳しいことも言ってきたことであろう。ここにある釈尊の言葉は、その阿難に対する最後のお礼だったのかもしれない。胸にジーンとくる感動的な場面である。

 ところが、その釈尊に対する阿難の返答が一見奇妙なのである。

「尊い方よ。尊師は、この小さな町、竹藪の町、場末の町でお亡くなりになりますな。尊い方よ、ほかに大都市があります。例えば、チャンパ―、王舎城、サーヴァッティー、…(中略・引用者)…があります。こういうところで尊師はお亡くなりになってください。そこには富裕な王族たち、富裕なバラモンたち、富裕な資産者たちがいて、修行完成者(ブッダ)を信仰しています。かれらは修行完成者の遺骨の崇拝をするでしょう。」 (中村訳前掲書140頁)

 もちろん釈尊は、この阿難の提案を退ける。そもそも80歳となって余命を自覚するほどの激痛をこらえる最中、大都市へ移動することなど困難だったはずだ。それなのに、なぜこの話の流れで、阿難はこんなことを言ったのだろうか。

 この経典は、王舎城で「七不退法」を説いたあと、北上してクシナーラーで臨終するまでの釈尊の足跡が地理的な固有名詞とともに詳しく記載されている。クシナーラーの先には、釈尊の生まれ故郷があることから、そこを目指していたのではないかと推測される所以でもある。臨終後、摩訶迦葉(まかかしょう)も遅れて到着して、遺体は荼毘(だび)に付されるが、一行は再び王舎城へと戻り、そして第一結集の開催へと向かう。

 なぜ、仏弟子たちはわざわざ王舎城に戻ったのか。摩訶迦葉も到着したのだから、その場で結集を開催できなかったのだろうか。あるいは、釈尊ゆかりの地がよいということなら、そのままカピラ城へ向かうことも選択肢としてあったのではないか。

 しかし、一行は再び王舎城へと戻った。この不自然な動きについては、何日かかるかわからない500人規模の比丘たちの結集会議に、摩訶迦葉の要請で阿闍世(あじゃせ)王が食べ物を供給したという伝承が想起される(『大智度論』巻二)。たしかに衣食住を布施に頼る比丘たちの集いである。ここに生活上の問題があったことは、漢訳『四分律』の「唯だ王舍城には、房舍・飲食(おんじき)・臥具(がぐ)、衆多なり。我等(われら)、今、宜(よろ)しく共に往きて彼(かしこ)に集まり、法と毘尼(びに)とを論ずべし」(『四分律』巻五十四「集法毘尼五百人」)という諸比丘の提案からもうかがえる。

 先ほどの阿難の発言は、侍者として釈尊入滅後のサンガの混乱をすでに予期していたと考えることはできないだろうか。このような小さな村でお葬式ができるのか、結集のような会議が行われるとして、多数の比丘が食べ物も得られない、宿泊もできない、このような場所で開催などできないという現実的な問題を心配していたのではないだろうか。阿難の言葉と、わざわざ王舎城に戻ったサンガの動きとが、重なってくるのである。

戸次 顕彰(親鸞仏教センター研究員)

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