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keyword:恋愛
Vol.03  なぜ男は女を求めるのか? なぜ女は男に惹(ひ)かれるのか? これは永遠のテーマです。
 大昔、男と女は一体の動物だったそうです。しかしある時点から、別々の体に分かれてしまいました。しかし、その分裂に堪えきれず、失ったもう片方の体を男女は本能的に求め始める。それが恋愛衝動だと言うひともいます。そうかもしれないと思います。また、人という漢字の成り立ちは象形文字ですが、体と体とが支えあっている形にも見えます。ひとりでは生きてゆけないということが、恋愛の衝動の根底にあるように思います。
 詩人の吉野弘さんは、こんなふうに言っています。

「二人が睦(むつ)まじくいる為には、愚かでいるほうがいい、立派すぎないほうがいい、立派すぎることは、長持ちしないことだと気付いているほうがいい、完璧をめざさないほうがいい、完璧なんて不自然なことだと、うそぶいているほうがいい、二人のうちどちらかが、ふざけているほうがいい、互いに非難することがあっても、非難できる資格が自分にあったかどうか、あとで疑わしくなるほうがいい、正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい、正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと、気付いているほうがいい。(「祝婚歌」から)」

 これができれば、恋愛の達人といえそうです。
 しかし現実の恋愛は、エロスにもグロテスクにも変化するものです。刃傷沙汰さえ起こしかねません。愛が強くなれば、相手を縛るものにも変化してゆきます。「私がこんなに愛しているのに、相手はわかってくれない」となり、相手に受け入れられなかったならば、愛は憎しみにも変化してゆきます。「恋愛は、ひとを天使にもするし、悪魔にもする」といわれます。そもそも恋愛が厄介なのは、自分ではどうしてみようもない衝動だからでしょう。ひとたび、恋わずらいにかかってしまえば、なかなか立ち直ることもできません。
 幸いに、もし恋愛が成就しても、「別れのない出会いはない」といわれるように、この世で添い遂げたとしても死別は必ず体験します。みすみす別れることがわかっていても、それでも相手を求める衝動はどこからやってくるのでしょうか? それこそ、自分を超えたところからやってくる衝動だと言えましょう。ですから、どんなに傷ついたとしても全身全霊をかけて相手を愛し、恋ならではの喜び・悲しみ・痛みを知るという体験は、素敵なことだと思います。どうせ一度の人生ならば、恋の炎に焼き尽くされるのもまたご縁ではありませんか。完全燃焼こそ、人生の醍醐味(だいごみ)だと思います。

武田定光(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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