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Vol.07  近代科学によってもたらされている前代未聞の諸問題に対して、宗教の観点から光を投げかけることの必要性が叫ばれている。しかし近代科学そのものを根っこから破棄しなければならないといった議論になることはまずなく、近代科学の発展とその「恩恵」とを否定しがたい前提とした上で、それに欠けているものを宗教的「知」によって補い、バランスを取るべきといった発想がほとんどである。(古代・中世の科学とは区別される)近代科学はかつて神学の「侍女」であった自然哲学が新しい「方法」を手に宗教から「独立」することによって成立したが、まるでいまや宗教が独立独歩でひた走る近代科学の「侍女」たらんとしているかのようである。科学的「知」と宗教的「知」のバランス、調和の達成と言うからには、両者が根本において両立可能でなければならない。その際、科学は現象・事実という相対の世界を対象とし、宗教はそれを超えた生の価値・究極的意味に関わるのだから両者は扱う領域・次元が異なり、したがって相互に矛盾することはないと考えられることが多い。しかしこの「領域分担」はトリックである。宗教的に生きることはそれが絶対的なものに関わるがゆえに(相対的世界に属する)我々の日常生活の「全体」を巻き込むのであって、一体であるべき人間の生が宗教的次元とそうでない次元とに分割されて捉えられたときには、すでに宗教は「否定」されているのである。
 近代世界は(カントの批判哲学による基礎付け以来)「事実的なもの」あるいは「目的合理性」(ウェーバー)と「倫理的・価値的なもの」との分断を大前提としている。そして現在科学の発展によって突きつけられている難問はすべてこの原理的分断の逆説を示していると言える。すなわち、「他の現象(自然)は手段とされてもよいが、人間はただ目的としてみなされるべきであり手段とされてはならない」というヒューマニズムは、不可避的に人間の手段化にいたる(なぜなら人間もまた自然の一部であるから)という逆説である。近代科学それ自体は受け入れつつ、それの足りないところ(精神的次元)を宗教によって補うというアプローチが意味するのは、手段としての科学「知」はそのままにして、それをどうより良く(宗教的価値に相応しく)用いるか、つまり「事実」とは区別された「価値・目的」の次元で工夫をするということ以上ではありえない。したがってそれはヒューマニズムの逆説をもたらしている同じ分断の原理の枠内にとどまり、その根源にあるとてつもない傲慢を改めるどころか永続化することにつながってしまうのである。
 近代科学が他の伝統的諸科学から決定的に区別される基本的性質のひとつは、それが実験による検証に基づいていることである。そのため近代科学は具体的に技術として応用される前からすでに潜在的に「技術知」(つまり世界を作り変えるもの)であるという奇妙な科学なのである。したがってある特定の技術的応用を政治によって禁止したりコントロールしたりできると言っても、あるいは最新の科学的世界像は宗教的コスモロジーと一致した展望を示していると言っても、この「実験科学」という根本的性格が放棄されない限り、近代科学とその応用技術はますます人間の生活領域のすべてを「手段化」し、そのことによって人間が生きることのできる「意味空間」を成り立たなくさせてしまうであろう。宗教者は意味の世界を説くのであれば、この絶対的両立不能性をごまかしてはならない。

新田智通(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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