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Vol.08  自然の悲鳴に 五感を澄まそう」という、高校生・飯塚彩さん(15歳、千葉県野田市)の新聞投稿の文章が目にとまった。
 空が好きな飯塚さんは、「祖母の言う満天の星も、突き抜けるような青空も知らない」という。太古からすべての命に平等に自然の恵みが与えられ共生してきた流れを、私たち人間が「快適さと利便性を追求したあまり、小さな命を道連れにして」止めようとしていると悲しみ、さらに、「五感を研ぎ澄ませてみよう、木々の悲鳴、動物たちの嘆きが聞こえるはずだ。そして自然や悠久なるものへの畏敬(いけい)の念を抱きつづけよう。…(中略)…人間だけが何をしても許される存在ではないということを肝に銘じて」と訴える。
 たしかに、科学技術文明の目覚しい進化や経済発展などによって、現代の人々は「快適さと利便性」を追求するあまり、木々の悲鳴や動物たちの嘆きが聞こえず、利用価値や経済価値ばかり見て、いのちのいとなみが感知できなくなっている。
 同じように、知るといっても、対象的・客観的に知るのと、自身のこととして実感をもって知るのとでは、雲泥の差がある。避けることのできない死を他人事として見るか、自らに迫られていることとして受け取るかでは、全く違う。死の事実を自らのこととして感知するとき、つまり、「明日(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨となれる身」(蓮如〈れんにょ〉)であると知らされるとき、誰にも何ものにも代わることのできない、この世でただ独りの、ほんとうの自己自身に遇(あ)うことができる。
 2001年9月11日の同時多発テロで、大切な人を失ったひとりの女性が泣きながら、「こんな悲しみは私ひとりでたくさんです。報復によってこのような悲しみを、これ以上、他の人にもたらさないでほしい」と訴えていた言葉を忘れることができない。
 人間は同じ過ちを何度でも繰り返し、正義の名のもとに殺しすら他人に強いて憚(はばか)らない存在であることを知らされる。
 死が他人事ではなく、自らが死ぬ身であり、危機に遭(あ)えば悲鳴をあげる存在だという、国も、民族も、言語も、習慣も、どのような差異(ちがい)をも超えて存在する人間の事実に目覚めることから、あらゆる対処がはじめられなければならない、と痛感させられる。

中津 功(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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