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Vol.100 夜ふけの念仏 越部良一

 『法然上人行状絵図』(法然上人絵伝)、第二十巻で法然曰く、「すべて親しきも疎(うとき)も貴も賤も、人にすぎたる往生のあたはなし。それがためにかざる心をおこして、順次(じゅんし)の往生をとげざればなり。さりとて独居もかなはず。いかがして人目をかざる心なくして、まことの心にて念仏すべきといふに、つねに人にまじりて、しづまる心もなく、かざる心もあらんものは、夜さしふけて見人なく聞人(きくひと)もなからむ時、しのびやかに起居て、百遍にても千遍にても、多少こころにまかせて申さむ念仏のみぞ、かざる心もなければ仏意に相応して決定往生はとぐべき。[中略]所詮決定往生をねがふまことの念仏申さんずるかざらぬ心ねは、たとへば盗人ありて、人の財を思かけてぬすまむとおもふ心は底にふかけれども、面はさりげなき様にもてなして、かまへてあやしげなる色を人にみえじとおもはむがごとし。そのぬすみ心は人またくしらねば、すこしもかざらぬ心なり。決定往生せむずる心も又かくのごとし。人おほくあつまり居たらむなかにても、念仏申いろを人に見せずして、心にわするまじきなり。その時の念仏は、仏よりほかはたれかこれをしるべき。仏しらせ給はば往生なむぞ疑はむ」。これは「人をころし財をかすむるを業として世をわたりけるが、としたけて後、上人の化導に帰し」た、教阿弥陀仏の問いへの答えである。
 盗人は孤独である。この孤独の心のうちに仏眼が感じとられなかったのなら、誰にも見られていないので安心できたのなら、何も法然のもとへと参ることはない。また、盗人心が過去のもので今は何の関わりもないなら、法然に問うこともなかったであろう。このもと盗人に、法然は、そのままの盗人心で念仏せよ、と言ったのである。仏の眼から逃げようとすれば落ち着かない。さりとて盗人心から逃れようとしても無理である。
 念仏は孤独のいとなみである。盗みが孤独のいとなみであるごとく。この、法然の言う「ごとし」は耳目を驚かす。とにもかくにもわれわれは、人中に混じって見ばえよくしていたいのである。
 盗人心のうちなる弥陀の仏眼は、われわれのまことの姿なのであるから、人前に持ち出して悪かろうはずはない。法然は一応そうも言っている。しかし人にはふつう飾りごころが付いているのだから、それで済みはしない。「人にすぎたる往生のあたはなし」と強い調子で言う必要が出てくる。誰も盗みや殺しで人目を飾れるとは思わないから、そして仏は人を飾るにうってつけのものともなりえるから、人前に持ち出されれば、盗人心は消されるか、あるいは表立たされても、それは飾りにされた仏の飾りになる。偽善のための偽悪。
人のまことの心ねは、阿弥陀様だけが御存知だ。

越部良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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