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keyword:生、死、苦しみ
Vol.103 生きることと死ぬこと 内記洸

 「死」とは何だろう。
 この「死」ということに関して初めに思い出すのは、大学時代の友人がかつて、「死ぬのが怖い」と私に洩(も)らしてくれたことである。突然の交通事故で、それまで元気だった祖母を亡くした彼は、「自分が死ぬ」ということを考え出すと怖くて仕方なく、夜も眠れなくなるほどだと言っていた。そんな彼に対して当時の私は、彼のその“不安”をどうやって紛(まぎ)らわそうか、などと考えていた気がする。
 現代的な感覚としては、「こうした問いに対しては、いろいろな答え方があり、正しい答えなどないのだ」と言われるかもしれない。あるいは、例えば『論語』にある孔子の言葉、「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」から、「そんなことを今考えたって仕方がない、わからない」ということになるのかもしれない。友人に対する私の対応も、まさにこうした例に漏(も)れるものでなかったことがよくわかる。しかし、今、改めて振り返ってみて思うことであるが、彼が問うたのはそんなことではなかったのではないか。こうした答え方は、実は、彼が「怖い」と表現した、「死」についてのその質感をまったく受け止めていない。どれだけ「考えたって仕方がない」と説こうと、「怖い」という“感覚”を取り除くことはできない。私たちの手元にある“理屈”は、私たちを超えたものについては用をなさない。むしろ、私たちが「考えても仕方がないことだ」と語るのは、どう背伸びしたところで答えようのない、巨大な「不安」に対して目をつぶるためなのではないだろうか。
 仏教において、「死」は「苦」のひとつを代表している。釈尊は、生・老・病・死の「四苦」を機縁として出家した(「四門出遊(しもんしゅつゆう)」)と伝えられているが、このエピソードは、「一切皆苦」という教えとともに、「死」というものに直に向き合おうとする仏教の姿勢をよく表している。どの時代、どの地域においても、人間にとって「楽」が望ましく、「苦」が厭(いと)わしい。私たちの「生死」をめぐるすべてが「苦」であるということは、私たちが本当は自身の「生死」をめぐるすべてに目を向けなければならないはずである、ということである。
 日本における自死者の累計が年間三万人を超え続けている。そこには、簡単には言葉にできないような、自らの「生」に対する深刻な苦脳、絶望があるのだと思う。ただ一方で、そのような表現を前にしてなお、残された私たちひとりひとりは自分自身の「苦」というものにどれだけ向き合えているのだろう。「苦」を直視するための土壌は、まだ残っているのだろうか。普通は苦しみであるはずのものが、「苦」として感じられないような苦しみ。「浄土」にしろ「神の国」にしろ、宗教が「生まれ変われ」と説いているのは、「本当の苦に目を開け」という、私たちへの呼びかけなのではないかと思う。

内記 洸(親鸞仏教センター研究員)

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