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keyword:社会 自己責任 ニヒリズム
Vol.106 自己責任という刃 花園一実
 

近ごろ、「自己責任」という言葉を耳にする機会が増えた。しかし、その言葉を聞くたびに、何か座りの悪い圧迫感を感じているのは私だけだろうか。
 そもそも現在使われている責任(responsibility)という言葉は、respond(応答)という語に、「可能」を意味する(-ity)を付けた「応答可能性」という意味の言葉を、明治時代に「責任」という従来の漢語に当てたことが由来なのだそうだ。応答可能性、つまり間柄を生きる存在=人間として、他者からの呼びかけにいかに応じるのか。ここに一個の主体としての道徳的な立場が懸(か)かっているのであり、これが最も根源的な意味で「責任」という語を表しているとされている。(参照『現代倫理学事典』弘文堂)
 そうであるならば、「自己責任」という言葉はいたって不自然だ。関係性のなかにあるべき言葉を、再び「自己」という個人に押し込めてしまっているだけでなく、さらにこの言葉は決まって他者に向かって一方的に投げつけられるものなのである。
 この言葉を聞いてまず思い出すのは、2004年10月にイラクで起きた青年人質事件である。あのとき、退避勧告が出ているにもかかわらず、危険地帯へと赴いた青年の軽率さに、世間では自己責任の論調が吹き荒れた。テロリストの要求を呑(の)むことはない、あれは彼の自己責任だ。そうして時の首相でさえもが自己責任という語を使うという、今から思えば異様な空気感が世間を支配していた。
 ちょうどそのころ、私は京都で全寮制の学校に通っていた。そこはテレビ・ネット・携帯電話が一切禁止されていたので、私は新聞のみで事件の顛末(てんまつ)を知った。青年の訃報(ふほう)のニュースを見たときは、何ともいえぬ陰鬱(いんうつ)な気分でその日を過ごしたのを覚えている。ほどなくして学校が長期休暇に入り、地元に帰った私は、数ヶ月ぶりに友人たちと再会した。話題が例の人質事件に及ぶと、友人たちはばつが悪そうに「あれは自己責任だからしょうがないよな」と口々に言葉を濁していた。心やさしい友人の口から出る大人びたその言葉に、どこか違和感を抱きつつ、「そういうものかもしれない」と、間もなく私も彼らに同調した。
 今ならよくわかる。あのとき、私は自己責任という言葉を振りかざしながら、自らの罪を必死に覆(おお)い隠そうとしていたのだ。「あいつが勝手にやったこと」「自分には関係ない」と、しなくてもよい言い訳を繰り返していたのだ。わかったフリをすることで、私たちは一体何から逃げようとしていたのだろう。どうしてあのとき、ただ彼の死を悼むことができなかったのだろう。
 責任(responsibility)という語が、時代を経て自己責任に変容したことは、私たちが関係を生きる存在として担(にな)うべき、他者への責任を放棄してしまったことを意味している。それは、人間が生きることそれ自体において、自然に担っているような普遍的な責任、言い換えれば縁起の法において互いに生かし生かされる者としての「つながり」である。「自己責任」とは、このつながりを断ち切る刃のような言葉ではないだろうか。骨身にまで染みてしまったこの現代のニヒリズムをどう乗り越えていけるのか。私にとっての大きな課題である。

花園一実(親鸞仏教センター研究員)

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