親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 今との出会い
keyword:カント、最高善、現世利益
Vol.117 幸福の願い 越部良一

 もう十年以上前、親鸞をまだよく知らなかったころ、『現世利益和讃(げんぜりやくわさん)』なるものが親鸞にあると聞いて、「現世利益」とは聞き捨てならぬと思い、読んでみた。つまり、そのころはまだ、哲学も宗教も現世利益など求めるはずがない、と思っていたわけだ。しかし、それを読んで一挙に、それまで疑念を抱いていたカントの最高善の思想の構造の正しさを悟った。カントが道徳性のうちに幸福への欲求を包み込んだ、その構造を、親鸞は南無阿弥陀仏において、つまり浄土のうちで示す。幸福の願いが、単に人間的な、この世的なものでないことを、それは何とまあ見事に示していることだろうか。
 「最高善」とは善き意志に幸福が結びついたもので、道徳的に振る舞う人間は自らの幸福を神に望むことが許されるとするのである。カントの言う「幸福」とは、感性的な欲求の満足のことであって、それゆえそこで希望される幸福とは、息災延命、疾病の回復、家内の安全、仕事の成就等々を当然含んでよいものだ。なにゆえこの思想が理解できなかったのか、つらつら考えるに、そこに欠けていたもの、明らかに見てとれていなかったことは次の四点であると思っている。
 一つは、そのような意味での幸福は最終的には人間の手中にはない、つまり人間を超えたものの力のうちにあるということ。二つには、ふつう、人間(凡夫)はそのような幸福をどうでもよいとすることができる質に生まれついていないこと。三つ目には、世に生きている以上、自己の使命、天職を果たすためには、上述のような幸福が何らか必要となること。四つ目には、これが決定的なことであるが、人間を超えたものにそうした幸福を願うこと自体が、ある種の場合には(カントでは道徳性がある場合、そしてその場合にのみ)その人間を超えたものから許され、そして要求されてもいるということ。
 これを逆に言うと、一つには、幸福問題に関して人間の努力、進歩が唯一の務めと思い、二つには、世の幸福なしでも安んじて生きられると思い、三つには、山林に一人隠棲するかのごとく、幸福は自らの使命と至心(ししん)の外にある物とのみ思い、四つには、神などに幸福を祈願することは、単に人間の欲求の押しつけにすぎないと思っているかぎり、カントの言いたいことは理解できるはずもなかったのだ。第四の点に関連して言えば、少なからぬ祈願及び祈願批判は、願われた内容がその後に実現することだけに祈願の意味を認める。だが真実の祈願の意味、人間の成就は、願うことができるうちにすでにあるのだ。以前は、いったいいつどこでカントの言う幸福の希望が、つまりは「神の国」が、実現し成就するものなのか、実に訝(いぶか)しく思いながら穿鑿(せんさく)したものだが、まことに無益な穿鑿をしたものだ。
 カントの「宗教妄想」(神への根拠のない希望、偽の礼拝・奉仕)批判に鑑(かんが)みても、次のように言わねばならない。迷信であるような祈願がある、と。人間はもの心つけば幸福を願うように作られているのだから、迷信であるような祈願から脱して、幸福への願いを包み込むことができるような使命を見いだすことが人間には課せられているのであろう。だからまた、こうも言い得るのだ。祈願は哲学の始まりであり、終わりであると。

越部 良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会いブックレビュー
研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス