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Vol.123 黒くぬれ! 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村晃徳

 「まだ見ぬ大物」「まだ見ぬ強豪」という言葉が、以前プロレス界にあった。インターネットという言葉すらない時代に、海外から入ってくる情報は月刊誌が主だった。だから情報には当然タイムラグが生じ、写真と文章のみで実物を想像することになる。それがかえってイメージを膨らませ、期待は高まっていった。そして、そのレスラーが来日し、待ちに待ったその雄姿を、ブラウン管からプロレスファンの少年(つまり私)は堪能(たんのう)するのである。
 「ルネサンスの優美、500年目の初来日」と銘打たれた「ラファエロ展」は、その意味で窮極の「まだ見ぬ大物」の初来日であった。今年の3月から6月までの展示期間に505,246人が来場したらしい。プロレスファンの少年から、絵画ファンの中年へと変わった私も、当然「大物」に会いに行った。その大物とは「大公の聖母」である。
 子を抱く聖母が実に美しい。二人の姿は絵画という平面の限界を破り、立体的な膨らみをもち、見る者に迫ってくる。それは二人の周囲が漆黒に包まれているからである。
 黒は不思議な色だ。「黒くぬれ!」という曲があるように、黒はすべてを否定する。黒に覆われたとき、事物は形を失い、世界は夜となる。ブラックホールではないが、黒にはすべてを飲み込みそうな恐怖感がある。黒はすべてを奪うのだ。
 だが、その一方で黒はすべてを生かす色でもある。絵を描くにしても、輪郭に黒い線を一本引くだけでぐっと引き立って見える。確かに、夜は暗く怖い。でも、夜だからこそ、かえって月や星は美しく見える。明かりによって闇は否定される。だが、闇があることによって光はより輝いて見えるのだ。
 仏教の人間観もそうだ。人間には闇、つまり無明がその根底にあると説く。無明があると聞くと、底なしで、吸い込まれそうな恐怖感がある。でも、それゆえに阿弥陀の光はありがたいのだ。また、底なしということは、視点を変えれば人間の存在に深さを与える。現代の人間観に浅さを感じるのであれば、そこに闇があるかどうかを考えればよい。美術の本を読んでいて「光源」という言葉を覚えた。絵画において人が照らされるとき、その光源を探るという鑑賞法がある。阿弥陀という光源は、人をどのように照らし、闇のなかでどのような立体感を与えるのだろうか。
 「大公の聖母」を見ながら、いろいろなことを考えていた。黒が印象的な絵を見ながら、ラファエロの天才を思った。その時、私の背後に解説を見つけた。そこには次のようなことが書いてあった。
 今回の調査により、「大公の聖母」には本来は背景が描かれており、黒く塗られたのはラファエロの死後から遙かに時を経た18世紀ごろのことであることがはっきりした。
 背景を塗ったのはラファエロではなかった。誰かが「黒くぬれ!」と言ったのだろう。ふーん、そうなんだ。じゃ、今までの自分の感想って一体・・・。その瞬間、私の気持ちも黒に包まれたのであった。

親鸞仏教センター嘱託研究員 田村晃徳

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