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keyword:小津安二郎、鎮魂
Vol.125 映画『晩春』 越部良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

 キング・クリムゾンの『The Power To Believe』を聞いたのと、小津安二郎の『晩春』を久しぶりに見たのが重なったので、エイドリアン・ブリューが「She carries me」と歌い出すと、原節子の顔が浮かんで来るようになった。『晩春』は小津畢生(ひっせい)の傑作である。
 この映画は、三重の喪失と一つの自己主張を描いている。一つの自己主張とは、占領下における「日本」の自己主張。三重の喪失とは、一つには嫁いでゆく娘。二つには、紀子(原節子)の服部(宇佐美淳)に対する失恋。父に対する言動の背後に、離れゆく服部への態度を重ねる巧妙さたるや、ほとほと感心するしかない。例えば、能観劇での父(笠智衆)の再婚話の相手(三宅邦子)に対する紀子の態度は、「よく知っている」という服部の許婚(いいなずけ)に対するものでもある。三つには、母の死。これは気づきにくいが、気づけばすべては明瞭である。この映画を初めから終りまで統括しているのは母親の霊であるということは。これに気づけば、娘と父との性的結びつきなどという、世の一部に行われている見方がいかに見当外れであるかがわかるだろう。紀子が父の再婚話を聞いて激しく泣くのは、死んだ母親をかわいそうに思うからでもあり、京都の旅館で父がむきになって娘に結婚するよう諭(さと)すのも、亡き妻がそれを望んでいたということに背中を押されているのである。
 母がいつ、どのようにして亡くなったのか、映画は直接に何も語らない。が、私は一つの見方をとる。それは、この母はアメリカの空襲で殺されたというものである。第一に、父の妹(杉村春子)が紀子の花嫁姿を前にして「亡くなったお母さんに一目見せてあげたかった」と泣くシーンは、無念の死を暗示するに十分である。第二に、この映画のタイトルに「昭和24年完成」と示されること。三つには、紀子が以前体をこわした原因を父の友人は「戦争中、無理に働かされたのがたたった」と言うのだが、女性を強制動員した昭和19年の法令「女子挺身勤労令」の第十五条で「家庭生活の根軸たる者」は除外されている。この映画での紀子はまさに家庭生活の主軸であるから、法令時には母親はまだ生きていたと推定する余地は大いにあるのである。第四に、この映画の重要な場所である銀座は、昭和20年1月27日、土曜の白昼に空襲され、多数の死傷者を出した場所である。映画中、銀座で父の友人に上野の展覧会に誘われた紀子は、「ミシンの針買いたいんだけど」と言う。しばしば画面に写し込まれ、ラストで家からなくなった(つまり嫁入り道具となった)あのミシンである。これは母の形見に違いない。母親もまた銀座に買い物に出かけていたのだ(『秋日和』を見よ)。第五に、『麦秋』(昭和26年)と『東京物語』(昭和28年)の原節子の「紀子」は、身内を戦争で亡くしていること。等々。こう見れば「喪失」と「自己主張」(円覚寺、鶴岡八幡、清水の舞台、龍安寺の石庭などの描写)は結びつくのである。
 正にこの映画は鎮魂の映画と呼ぶにふさわしい。原節子の顔のなんと不気味で異様でこの世ならぬものであることか。母の化身ともなるこの魂を鎮めるものを、この映画は、父と娘の、そして死者の愛情を包み込む、暗い夜の月の光のうちに求めているのだから。

親鸞仏教センター嘱託研究員 越部良一

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