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keyword:茨木のりこ、介護、認知症、少子高齢化
Vol.132 乾いてゆく心 法隆 誠幸(嘱託研究員)

 少子高齢化をはじめ、悲観的な話しか聞こえてこない。世代を問わずその日を生きることに精一杯で、未来など語れそうにもない。いや、考えたくもないのだと思う。十年一昔と言われた時代は、もはや遠い過去だ。あまりに急激に、しかも否応(いやおう)なく変化していく社会状況のなかで未来を考えることは、より一層不安を増幅させるばかりである。何より自らの不安は他者に対する不寛容さとなって、苛立(いらだ)ちや妬(ねた)みへと変わり、発せられた言葉が時に人を傷つける。

 一線を退いた大人たち。「年金生活者」という、生きていれば誰もが当たり前に迎える事実。それがいつしか社会的弱者の代名詞であるかのごとく、得意になって使っている姿が何とも切ない。先行きに対する大きな不安が、そこにあるからだろうか。栄養の充実や医療の発達により、人は死のうにも死ねなくなってしまった。長期化する介護、介護者の高齢化、そして認知症。「家族に迷惑をかけたくない」という言葉は、自分自身を擁護する言葉。すなわち、自らの居場所や尊厳を最後まで失いたくないという意識表明にも聞こえる。

 戦後を代表する女流詩人、茨木のりこさんに次のような詩がある。

  ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて

  気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな
  しなやかさを失ったのはどちらなのか

  苛立つのを 近親のせいにはするな
  なにもかも下手だったのはわたくし

  初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
  そもそもが ひよわな志にすぎなかった

  駄目なことの一切を 時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄

  自分の感受性くらい
  自分で守れ ばかものよ

(「自分の感受性くらい」茨木のりこ)  


 いつの時代も人は、何かを指針に生きている。陳腐な表現であるが、それがかつては自分よりも大人な、あるいは先人の背中であったことは間違いない。そして親は親として、年長者は年長者として、矜持(きょうじ)をもち生きているように見えた。つまり、人間であろうとすることの先輩として。
 幼いころ、「言い訳するな!」と一喝されて身が震えたのは、「私」の本質を言い当てられたからなのだろう。静かさと威厳を前に、ただ恥ずかしさだけが残った。それは私のなかに残り、今も響いている。

親鸞仏教センター嘱託研究員 法隆 誠幸

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