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keyword:読書、三木清、寺山修司
Vol.134 書を捨てよ、町へ出よう 名和 達宣(親鸞仏教センター研究員)

 三十歳をこえたあたりから、なぜかはばからずに「趣味は読書」と言えるようになってしまった。
 もちろん、それまで読書の習慣がなかったわけではない。むしろ、学生時代から余暇はほとんど読書に費やしていた。しかし、それを「趣味」と呼ぶことはできなかった。思い返してみると、読書に没頭したのはたいてい、何かに行き詰まって息苦しさを感じたときだった。学校になじめなかったときや職場に憤りを感じたとき、あるいは恋愛が成就しなかったときや家族と衝突したとき。つまるところ、周囲の人間や自分自身に嫌気がさしたときである。そんなとき、気がつくといつも本を開いていた。あたかも日常の世界から逃げ出すかのように、書物の世界に沈潜してきたのである。
 哲学者であるとともに優れた読書家であった三木清は、「如何に読書すべきか」(新潮文庫『読書と人生』所収)のなかで、「自分自身の読書法」を見いだすための方法として、第一に濫読(らんどく)をすすめている。一冊の書を精読するよりも、まずはその一冊と出会うために、書物の海にもぐれと言うのである。なるほど、私自身も人生の迷いと並行して、むやみやたらと濫読をくり返してきた。暴飲暴食をすれば胃もたれを起こすが、濫読をして体調を崩すことはめったにない。どうやら人間の脳は胃袋よりも強靭(きょうじん)で底が深いようだ。ただし三木は、一旦は濫読をすすめているものの、そこから抜け出すことのできない者は「真の読書家」にはなれないと釘を刺す。専門的に読むことや系統的に読むこと、さらには細部まで繰り返し読むことの必要性も説き、最終的には「発見的に読むこと」が最も重要であると結論づけ、その読書論を締めくくっている。
 それでは、読書によって発見されるものとは何か。三木によればそれは、読書すること自体の「真の楽しみ」である。そして、その楽しみを見いだすためには、自分自身に何かしらの問題や要求をもって書物に対さなければならず、その場合、読書とは「著者と自分との間の対話」になると言う。
 ところで、「書を捨てよ、町へ出よう」とは、青春煽動家を自称した寺山修司が世に投げかけた命題である。言葉だけが独り歩きしたため、多くの誤解を招くことになったが、後年、寺山自身が次のように再確認している。


 たとえば書物とは「印刷物」ばかりを意味するものではなかった。街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。かつて、私は「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたが、それは「印刷物を捨てよ、そして町という名の、べつの書物を読みに出よう」と書き改めなければならないだろう。
(「世界の果てまで連れてって」)

 「書を捨てよ」とは「読書をやめよ」ということではない。むしろ、町という「開かれた大書物」を積極的に「読む」ことであり、無限の余白に新たな物語を「書きこむ」ことを表す。それゆえ読書とは、自分をふくめた無数の著者たちとの対話であるとも言える。何よりも、読書によって発見されるものは、この世界を生きる「真の楽しみ」でなければならないだろう。

親鸞仏教センター研究員 名和 達宣

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