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keyword:欲望、生きること、ナマケモノ
Vol.136 ナマケモノの8g 大澤絢子(親鸞仏教センター嘱託研究員)

 毛むくじゃらでまんまるい目をしていて、いつも木にぶら下がっている、ナマケモノという生き物がいる。彼らが地上に降りるのは、排泄(はいせつ)のための週一回程度、あとはほとんど木にくっついて眠っている。だからそんな名前がつけられた。
 彼らは一日8gしか食べない。ほとんど動かないから、食べる必要がないのだ。
 木にくっついて動かないことが擬態となり、そうやって木の上で過ごすことが外敵から身を守る手段となる。だから、できるだけ動かず、したがってカロリーを消費せず、また、排泄のために地上に降りる機会を減らすという選択らしい。

 彼らは、動くことではなく動かないことに労力を使っているのである。動いては食べ、また動いてはまた食べる、の循環を止めるように彼らは木の上にじっと留まっている。
 私たち人間はどうだろう。人間は、動くこと、前に進むことに労力を使い、止まること、留まることを善しとせず進み続けている。食べたい、眠りたい、話したい、観たい、聞きたい、知りたい、会いたい、愛したい・・・これに、もっと、が加われば、欲はいくらでも大きくなる。満たされなければ辛(つら)い。満たされればさらに欲しくなる。だから求める。求め続ける。そのベクトルに突き動かされるように、人間は日々生きている。
 求め、食べ、動き続ける人間と、求めず、食べず、留まり続けられるナマケモノと、生き物としてはどちらが進歩的だろうか。

 と、ここまではレヴィ=ストロースの『野生の思考』のような話だが、はたして欲なしに生きる生き物がいるだろうか。生きている物が生き物なのではなく、生きたいという欲求をもつ物が生き物なのではないか。ナマケモノの8gだって、「生きたい」というとてつもなく大きな欲の塊なのだ。動きを最小限にして留まり続ける彼らの姿は、かえって勤勉に映る。生きたいから、求めず、ナマケるのだ。
 人間も、生きることを懸命に求める生き物である。だが人間は、自分がいつか死ぬ、ということを知っている稀(まれ)な生き物でもある。いつか死ぬのがわかっているのに、求め続けているのが人間である。
 死を待つだけの時間にこれだけ多くの欲が必要なはずはない。だからそれは、「生きたい」という強い欲求があってこそ生み出される欲なのだと思う。必ず来る死を知りながら求め続けるのは辛く苦しいが、もっと、というその無限の欲が、限りある時間を生きることに興味をもたせてくれ、この生を魅力的なものに思わせてくれている。
 だからそう簡単には怠けていられない。死を知りながらも生きたいと願い、膨らみ過ぎる欲に翻弄(ほんろう)され、それでも生きる。だから生きられる。生きたいから、求め、ナマケられないのだ。

 こんな事を考えていたら、8gを大事そうに抱えたあの毛むくじゃらの生き物が、まるい目をじっとこちらへ向けて、「ナマケロヨ」とも、「ナマケルナヨ」とも言っているような気がしてきた。

親鸞仏教センター嘱託研究員 大澤絢子

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