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宗教研究、虚学、星野道夫
Vol.144 「虚学」も案外わるくない  親鸞仏教センター研究員 名和達宣
 宗教や哲学などの人文系の学問は、どうやら世間では「虚学(きょがく)」と呼ばれているらしい。恥ずかしながら、その実態を知ったのはつい最近のこと。「虚学」とは辞書には出てこない言葉だが、一般に「虚(むな)しい学問」と読まれ、文明や人間活動の役に立つ「実学」の対義語として用いられる。つまり、直接的には世の役に立たないものとして低く見られがちというわけである。ところが、人文系の学問環境、ことに宗教を研究する場に身を置いていると「これこそ実学である」とか「世の中の役に立たなくとも結構」といった気概(強がり?)をよく耳にする。かく言う私自身もそのように思っているのだが、世の評価とのギャップは常に意識しておく必要があるだろう。

 ときどき、いわゆる「実学」の立場の人から「宗教を研究するというのはどういうことか」と質問されることがある。そのときには、たいてい「宗教の研究も実験が肝要だ」と答えるようにしている。「実験」というのは、ビーカーや試験管を用いるたぐいのものではなく、文字どおり「実際に経験すること」を意味する。もちろん、一番の基本はテキストの読解だが、ある人物の思想や教義に「ついて」知ることと、それが身につくこと、あるいは真に出会うこととは、まったく異次元の出来事である。

 例えば、自分が美味しいと思っている水の味を、どうすれば他人に伝えることができるだろうか。「まろやかだ」とか、「ナトリウムが何グラムだ」とか、口当たりやミネラル成分をいくら詳しく説明しても、実際にそれを飲んでもらわないことには何も始まらない。
写真家で詩人の星野道夫が書いたエッセイ「もうひとつの時間」のなかの一コマが想起される。

「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」  (『旅をする木』文春文庫)
 先ほどの水の話に戻れば、あれこれと説明するよりも、目の前でゴクリと飲み、一言「うまい」とでも発するほうがよっぽど説得力があるということになる。あるいは、日々その水を飲むことで、自らがいかに健やかになったかを、身をもって地道に証明していくよりほかにないだろう。それ以前に、人間はかならず喉(のど)の渇く生物であり、本来的に「虚しさ」を抱えた――それゆえに「感動」が起こりえる――存在であるという事実を掘り起こすことが、宗教研究の醍醐味(だいごみ)ではないだろうか。
 「虚学」を「虚しさの学問」と読んでみれば、そう呼ばれることも案外わるくない。

名和 達宣(親鸞仏教センター研究員)

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