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明るくなる話題、物語
Vol.147 二つの「明」 親鸞仏教センター研究員 中村玲太
 「明るくなる話題を書いてきてください」

 この何気ない言葉に何かがねっとりと纏(まと)わりつくようで、払いのけるようにため息をついたのを覚えている。長い間、塾の講師をしていたのだが、担当していた中学校の地域では、全中学生が原稿用紙四、五枚程度の意見文なるものを夏休み明けに発表することとなっていた。必然、その意見文を完成させることが夏休みの宿題ともなるわけである。この意見文は社会に対して自分が思うことを述べればよく、特にこれといった縛りのあるものではなかった。とは言え、縛りがないからこそ書くのも難しく、「手伝って!」と頼まれるのが夏の風物詩であった。上の言葉は、担当していた生徒の担任の先生が意見文を書くに当たってクラス全員に言った一言である。
 この言葉を聞いたときに、目を背けたくなるような――それこそ「暗い」――話題にこそ正確に意見できるようになるべきではないのか、と思い、「暗い」が重要だと思われる話題を、いかに「明るく」プレゼンできるか、ということをむきになって考えたものである。しかし、今になって思えば、そもそも「明るい」とは何か?という素朴な疑問が頭をもたげる。
 「明るい」とは、「わかる」ということも意味するように、何をすべきかの見通しがある程度立っている、ということが「明るさ」の一面にはあるのではないだろうか。こうした「明るさ」は、集団が前提とするストーリーに乗ることができれば実現は容易かもしれない。例えば、学校であれば、一致団結してクラスでがんばるべきだ――そうすることに生徒としての意義がある、などと語られるストーリーを受け入れればなすべき役割も見えてくる。
 対して、当たり前のように前提とされ、共有される物語や価値観を疑って見ずにはおれない、しかも大した根拠がない(自分がその価値観を選んだ根拠が「思い出せない」)ことに気づいてしまう。こうして何かしらのストーリーに乗れない者は、見通しのきかない「問い」に悶々(もんもん)と立ち止まり、周りからは「暗い」と見られるのかもしれない。しかし、「明」には「明(あ)く」の意味もあるように、隙き間を明けて光が差し込む、という「明」のあることも忘れてはならないだろう。物語が閉塞(へいそく)したとき、そこに風穴をあける「明」は悶々とした「問い」にしかない。
 ただ、既存の価値観を疑うことに意味を見いだし、楽しさを求め始めたら新しいストーリーの始まりである。二つの「明」を行き来できることが、粘り強くものを考えるということなのかもしれない。「明るくなる話題を書いてきてください」という注文にこれで応えたことになっただろうか。まだまだ考えていこう。

中村 玲太(親鸞仏教センター研究員)

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