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大人
Vol.149 大人と子ども 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳
 大人になったなと思うことはよくある。
 子どものとき、大人がテレビのアイドルたちを見て言っていた。「みんな、同じ顔に見えて、誰が誰だかわからないな。」と。子どもであった私は思っていた。「こんなに顔も個性も違うのに、なぜ違いがわからないのだろう。大人とはそのような悲しき存在なのか」と。今、私は子どもたちとテレビを見ながら言う。「みんな同じ顔に見えるね。」と。私も、あのときの大人に立派になれていたわけである。
 大人になってないなと思うこともよくある。
 子どものとき、30代はもう立派な大人であった。そう見えていた。40代とは貫禄(かんろく)の出る年齢に見えていた。そして、現在40代半ばになろうとする私は自分にいつも問うている。「なんか、貫禄ないな」と。立派な大人になっていないわけである。
 そう考えると、大人ってどこにいるのだろうと思う。そして、年齢と大人とはどこまで関係があるのだろうかとも。年は重ねてきたが、幼きころと比較して自分が決定的に変わったという実感はない。仕事ができれば大人だろうか。一家の大黒柱となれば大人だろうか。だが、どのような条件を探ってみても、結局「大人とは」に対する正解には至らない。それは、形式はあっても、中身は自由だからである。
 そのように区別があいまいな大人と子どもにおいて、決定的に異なることが一つある。それは数十年前を覚えていることである。私は「最近さ・・」と言いながら、10年前の内容を話している自分に驚いたことがある。子どもはそうはいかない。10年前のことを覚えていることはまだしも、20年前のことを覚えている子どもはいないだろう。しかし、私は20年前のことも、30年前のこともよく覚えている。そして、次のことに気づく。今の自分は数十年という時間をかけて、やっと今の自分ができたのだということを。
 さまざまな出会いがあり、別れがあった。希望をもった日々、落胆した日々、記憶にある日々、まったく覚えていない日々。そのような毎日が、今日の自分を作ってくれたことに気づくことができた。仏教を勉強することを通じて得ることは本当に大きいのだが、そのなかでも「無始已来(むしいらい)」という言葉を知ったことは決定的であった。人は始まりなきほどの昔からずっと迷いを重ねている。そのような仏教の人間観は、今日の自分は昨日できたのではなく、悠久の歴史の結果であることを教えてくれる。そして逆説的ではあるが、昨日の自分が今日の自分にも大きな影響を与えていることも教えるのである。なぜならば悠久の歴史も日々の重なりであるからだ。
 そのように考えてみると、大人、子どもという区別には便宜上の意味しかないようにも思える。迷う者と迷いに気づく者。あえて分ければ、そのような二者がいると言うべきであろうか。

田村 晃徳(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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