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Vol.15  どういう因果か、教壇から大学生を教えることになって、たまに学生から、「あまり学生を馬鹿にしないように」と注意を受ける。全くそういうつもりはないので、奇異の感を抱くのだが、思い当たらぬことがないわけではない。
 高校時代のころ、電車で通学していて、終点で別の電車に乗り換えなければならない。終点につくと駅員が、「車庫に入るので降りてください」と毎回、アナウンスする。どうしてこのまま車庫に入って行ってはいけないのか、という疑問が高校時代を通じて去ることはなかった。
 さて、大学に入って、ある講義の初回、大教室に入りきれないほどの学生が集まっていた。教壇にのぼった先生は、「授業など出る必要はない。だいたい、やりたいことがあるなら、授業に出ている暇などないはずだ」と言った。拍手が起こった。私もどうやら、心の半分では拍手していたようなのだ。まことに愚かしいというほかはない。次の回から、教室は閑散としたあり様となった。私は授業に出たが、それはどこに行くあてもなかったからにすぎない。車庫に入ったからとて、何ごともなかったに違いない。要するに、私は見捨てられた状態にいたわけだが、当時の自分をふり返るに、まことに可哀そうな奴だと思うわけである。
 ところで、「愚かしい」とか「可哀そうな奴」という言葉は、誤解を生むのであろうが、それはわが事なのであるから、そうした言葉には、いわく言い難い思いが、むろんこもっている。学生たちは、自分のことを言われたのだと思うのかもしれないが、実は、私が一番気になって仕方がない学生とは、私のことである。過去の自分は、痛切な思いとともに今によみがえる。その私に対して、私は言う。「まことに愚かしい」と。果たして、私は私の授業に出て来るのであろうか?
 歳をとるにつれて、自分のなかの、ある種の若さがうとましくなってきた。これは思いがけぬことである。この若さは、なるほどそれを取り巻く社会と学校の風潮と絡んではいる。それにしても、私は私なのであるから、私は過去の自分と心中してもおかしくはないはずなのだが、どうしたことか、もはや、そうできなくなってしまったらしい。どうしてそうなったのか、困ったことに自分の、おそらくは誰の、知るところでもない。だからこそ、学生のころの自分に対して、いっそう痛切の感がつのるのであろう。

越部良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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