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受難
Vol.151 キートンは笑わない 親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一
 『キートンの大列車追跡』が、一般にバスター・キートンの最高傑作とされているようだが、この作品は、キートンの特徴である破壊性、スペクタクル性、ファンタジー性とでも言うべきものが、ベスト作に比して映像に十分に出ていない。サイレント時代のキートンのベスト三作は、長いものでは『荒武者キートン』、『キートンの探偵学入門』、『キートンの蒸気船』(次点は『海底王キートン』)、短編では『キートンのマイホーム(文化生活一週間)』、『キートンの酋長』、『捨小舟』(次点は『キートンの警官騒動』)といった作品である。
 まだロスコー・アーバックルと共演していたころの短編『His Wedding Night』でキートンは途中から登場する。婦人服販売員として花嫁衣裳の入った箱を頭にかかげ、自転車に乗って猛烈なスピードで走ってくる。そのまま店の前の柵に追突して転倒する。「なぜ」などと聞くのは無駄なことである。この男には身投げ衝動があるということだ。
 短編『キートンの船出』で、子連れ家族もちのキートンは家の中で船を造り、それを車で引っ張って家の外に出すのだが、船がつかえて家が倒壊する。「どうしてそんなことを」などという問いには一切答えない。この男には家出衝動があるのだ。
 キートン映画を「笑いのためなら命がけ」と評するのは表層的な物言いである。キートンの「命がけ」は、彼の内なる破壊衝動と世界そのものがもつ不安定さ(その崩れやすさ、障碍〔がい〕、襲撃性)とを彼が自覚的に重ね合わせるところからくる。多くそこへ他者に対する愛情が加わる。だから彼はいつ死んでもおかしくないところに身を置くことになる。
 何百人もの警官に追いかけられ(『キートンの警官騒動』)、何十頭もの牛に追いかけられる(『キートンのゴー・ウエスト!』)のは、一つには、それが映画だからである。彼の衝動は舞台に、結局は時間・空間(世界)におさまらない。見世物(スペクタクル)にセリフは不可欠ではないから、映画はサイレントに極まり、キートンはその一頂点となった。もう一つには、それが彼の受難をより強烈に表現するからである。次々と災難に見舞われて笑えるはずもないから、キートンは笑わない。その風貌(ふうぼう)は、ごく普通で、むしろ二枚目風と言ってもよい。それでも、いやそれだからこそ、存分に笑え、そしてつくづく思わされるのだ。この男の状況は本当に笑えるものなのか。もしそうなら、人生の苦難そのものが可笑しなものであるのかと。
 よくある「反体制」といった見方で喜劇と笑いをとらえる、これはキートンには通用しない。世界の頼りのなさはどこに行ってもつきまとうことが見極められているから、見る者は天に向かわされる。これが決して笑わない喜劇役者の根底的な意味である。『キートンの船出』で、すったもんだの末に船出したキートンと妻と子どもたちは、猛烈な嵐に襲われ、もはや絶体絶命の地点に追い込まれる。キートンは一人一人にキスし抱き合って、皆で目を閉じる。それは何か「御意(みこころ)のままに」(『マタイ伝』のイエス)といった祈念の感じを醸し出す。
 ひとえに彼の「つきのなさ」こそ観客を笑わせる基(もと)にあるものだと言ってもよい。しかし真実には(だが真実とは何か)、彼は奇跡的に幸運な男なのである。危険に身をさらしながら、いつも生きることになるという大肯定的な意志、この意志のおかげで、彼の不運はまるで神の微笑みの下へ辿(たど)り着くかのようであるということ、彼の映画が凡百の喜劇を度越して真に愛すべきものとなったのは、このゆえであると私は思っている。

越部 良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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