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平等
Vol.153 発想の根本 親鸞仏教センター研究員 藤原智
 以前、ある(仏教とは無関係な)先生の本を読んだとき、そこに難しい言葉が並んでいるわけではなかったのだが、何を言っているのかまったく頭に入ってこなかった。それでも何とか読み進めていると、あるとき、根本のところでの発想が私とまったく異なっているということに気がついた。その先生は、おそらく、あらゆる人々はその能力に関係なく平等であるというところから、物事を考えている。対して私は、「私(私の所属・私の能力・私の財産)」というところから、物事を考えていた。だからこそ、その先生の言っていることについて、私が私として生きてきたその全体を突き崩すものと感じられ、いわば無意識の内に理解することを拒絶していたのだろう、と思う。そのことに気がついてからは、それなりに読み進めることができるようになった。
 それは私にとって、非常に大きな衝撃であった。知らなかったなどということではない。発想の根本における顚倒(てんどう)が暴露されたのである。これまで「平等」などという言葉はどれだけ口にしただろう。しかし、それは自分は別にしたところでのそれ、もしくは自分が弱者・少数派に属するときのためのそれであって、自分が強者・多数派に属する可能性のあるときのそれではなかったのである。
 ところで、最近ずっと気になっている言葉がある。親鸞の『教行信証』に引かれた次の言葉である。

道(とう)は清虚(せいきょ)を尚(たっと)ぶ、なんじは恩愛を重くす。法は平等を貴(たっと)ぶ、なんじは怨親(えんしん)を簡(きら)わんや。あに惑(わく)にあらずや。
 (『真宗聖典』392頁〔坂東本により「それ」を「なんじ」に改めた〕)
 親鸞がこの文を引く意図については、繁雑を避けるため今はおいておこう。それを別にしても、この文はわれわれの迷いの有り様について端的に知らせてくれる。
 われわれは、われわれ自身を中心に据え、そこから自分に近いもの・親しいもの・属するものに対し恩愛の情をもち、同時に自分から遠いもの・属さないものを見いだし、これを対立するもの・怨敵(おんてき)となるものとして選び分けていこうとする発想に支配されている。真理の平等性を貴ぶからには、このような発想こそ対立を深めていく惑いだとするべきであるが、この二項対立的発想は思考の根本にあるため、ことに焦りや不安に覆われるときには、容易にそのなかに落ち込んでしまう。
 われわれは普段から、そして思考が狭まるような状況においてこそ、自らの思索の根本を何に置いているのかを考えねばならない。その根本に平等の大慈悲を据え、そこから物事を考えていこうとした一つの歴史が浄土教であったのではないか。

藤原 智(親鸞仏教センター研究員)

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