親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 今との出会い
人生の意義は不可解
Vol.155 真面目か? 親鸞仏教センター研究員 中村 玲太
 「まじめか!」

 大学のころ、粛々と授業の予習をしていた友人に言い放った「つっこみ」である。今考えると何と軽薄なつっこみであったか、と思う。この反省が、『親鸞仏教センター通信』(第56号)の巻頭言を書かしめた一つの縁由となった。
 やはり、「まじめ」であることは人間として生きていく上で大切な徳目だとつくづく感じる。とは言え、「まじめすぎる」という批判的な眼差しもある。おそらく何かに忠実すぎる態度は視野狭窄(きょうさく)だという批判であろう。ただ、「まじめすぎる」という言葉を盾に、「まじめ」であること自体を冷笑するのはいただけない。
 他人の「まじめ」さをクールに批判する裏には、実は何かに真剣になり切れない自分をごまかしているという側面がある気がする。自分をまじめにさせる責務への羨望(せんぼう)と嫉妬。誰しも心の底では自分がまじめになり切れるものを求めているのではないだろうか。しかし、本当に自分を賭けて悔いのないものなどあるのだろうか。これこそ根本的な問題である。それに自覚的ではなく、まじめな活動に陶酔し、まじめさを売りにするような話を聞くとどうも醒(さ)めてしまう。
 ところで「まじめ」と言えば、世間的にちゃんとしている、という意味あいも強い。このことで思い出されるのが、永井均『マンガは哲学する』(岩波現代文庫)の強烈な出だし(まえがき)である。

私はまじめな話がきらいである。この世の規範や約束事をこえた、途方もないくらいまじめな話ならいい。少なくともニーチェのような水準のまじめさなら、まあゆるせる。中途半端にまじめな話はだめだ。ところが、世の中はそうした中途半端にまじめな話で満ちあふれている。

 ここから「中途半端にまじめな話」があふれる世の中において、「そうしたすべてをぶち壊すような真実の声を聞きたい、そうでなければやりきれないではないか!」と続けている。世間的に立派に生きよ、という「まじめな話」を幾度となく聞き、幾度となく話してきたが、それだけが人生を賭けるべきものなのか、と問いたくなる。しかし、問いたくなるが、問い切れない。「真実の声」を聞きたくなるが、続かない。中途半端な話に落ち着いていく。
 人生に対してまじめになり切れない。自分の人生なのにである。仏教は、そんな自分以上に――いや、自分とは違って、誠実に人間の生の虚妄(こもう)さを見つめ、真に自己なるものを問い続けている。そのあり方が「真の面目」(本来の自己)か、という仏教からの一刺しは重い。

中村 玲太(親鸞仏教センター研究員)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会いブックレビュー
研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス