親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 今との出会い
実存
Vol.159 隠れた自己 親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一
 

 哲学の始まりは、根源的な不満である。ヤスパースは、内在的な次元での人間存在の在り方として現存在、意識一般、精神の三つを挙げるが、それら三つの在り方では「我々はまだ我々がありうるものではない。我々をある不満が襲う」(『啓示に面しての哲学的信仰』)と言う。「現存在、意識一般、精神のこれら三つの包越者で我々はまだ我々自身ではなく、導きを持たず、支えもない」(同上)。生命欲を満たし(「現存在」)、科学的研究、合理的思考の成果を得(「意識一般」)、共同体に奉仕したり美を享受したりする(「精神」)、かりにそれらがどんなに見事になされ、人々の賞賛を得ようとも、私は不満である。
 「何をなすべきか分からないとき、私自身が存在しないということを経験せねばならない」(ヤスパース『哲学』)。そこに根源的不満はある。現存在、意識一般、精神、それぞれの次元で、なすべきことが我々に課される。根源的不満は、それらを軽んずることはできても、私自身のなすべきことを軽んじることはできない。「やがて私は、単なる思考によってではなく、状況の中での衝撃によって目覚めた。その衝撃によって私は心底、震撼させられ、何かが決定的に私自身にかかっている、と呼びかけられているのを感じた」(同上)。現存在、意識一般、精神が世界(世間)に関わるのに対して、実存(私自身)という人間存在の在り方は、世間を超えた存在(超越者)に関わる。世間的な自己は、どんな理屈をこねようとも、代理可能ではないのかの疑いを拭(ぬぐ)い去れない。実存は代理不能、つまり唯一無二にしてかけがえがないとヤスパースは言う。実存のこの代理不能性は、超越者からの呼びかけが、「この私」にひとえにかかっているということ以外を意味し得ない。
 実存のこの代理不能性は、もはや言い表せることのできるようなものではない。「実存は目の前に見られないものであり、私のすべての役割の背後にあって、これらの役割を担うものであって、そこでは、私は私自身と一つである。実存は、私が本来的であるところに、それゆえどんなに了解しようとしても、なお究極的には了解しないところに、私が愛していて、なぜ愛するのかを知らないところに、存在する」(ヤスパース『真理について』)。実存は内奥の隠れた自己である。それは世間の目から隠れているのと同様に、表面の自己(現存在、意識一般、精神)からも、どこまでも秘され、隠れている。ただ親密な者たちが、それら表面を貫いて、それをそれとして、一瞬のまなざしのうちに知る。
 学び知るとは、人間のこの二重化、自己の二重化を学び知るかどうかにかかっている。それは、実存と超越者に相応(ふさわ)しく、沈黙を蔵している。世の賞賛も非難も、この隠れた自己にいささかも触れるところはないとは、かの根源的な不満と同じく、一種狂暴な思想である。私はエピクロスの思想に何らの共感も抱きはしないが、彼のあの言葉、「隠れて生きよ」の実存的な読み換えを、心のうちで繰り返しながら生きている。

越部 良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会いブックレビュー
研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス