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Vol.17  この夏、北国のある地域の祭りの夜に、女子高校生がふたり、むかついていたので誰でもいいから死んでも構わないと思って、通りがかりの人を刺した事件が報じられた。無痛文明の時代といわれる現代を象徴的に表している衝撃的な事件として、考えさせられる。
 たとえば草刈りで、誤って指を傷つけても血が出て痛い。同様に、人を少しでも傷つければ、痛みがないはずはない。たしかに、現代のバーチャルの世界では、殺人がゲーム感覚で行われ、人の死にさえ慣らされている。さまざまな文明の利器に包まれて、死が自分自身と重ね合わさる想像力も衰え、自分が快適でありさえすればいいとし、いのちのつながりの感覚が麻痺している。
 「〈自障(じしょう)〉は愛にしくなし。〈自蔽(じへい)〉は疑にしくなし」(親鸞の『教行信証』に引用)という先覚の言葉がある。「自らの目覚めをさまたげるものは、自我愛にまさるものなく、自らを蔽(おお)いかくすものは、疑惑の煩悩にまさるものはない」という意味で、自我関心に閉ざされて、事実をありのままに見たり聞いたりすることのできない、自己中心のありかたが看破されている。
 欲望を満たしたり恨みを晴らしたりする対象として人にかかわるところでは、いつの間にか人間がモノ(道具)になり、人間関係がモノとの関係に転落する。個人の生活のレベルだけでなく、経済至上主義の社会では、商品の内実を隠し、公然と人間をだます行為まで起こる。まさに、人間存在への根本的無関心と言えよう。
 無関心は暴力でさえある。気づかないうちに、存在自身が暴力に与(くみ)しているということはないであろうか。たとえば、核兵器ひとつがいまだに廃絶できない。核炸裂の下の残酷な地獄が他人事になっているのである。
 では、人間と人間との関係(つながり)が回復される道は、どこにあるのか。この身心に感じる悲しみや痛みに、愚かなまでに正直であることが起(基)点ではないか。どれほど便利な社会になろうとも、そこに人の存在するかぎり、特別な事情を除いて、痛覚まで失うことはない。悲しみや痛みを感じるこころのはたらきを大切にしたときにはじめて、「自分だけが」というとらわれに気づき、いのちのつながりや人と生まれた喜びが、この身に感じられるのである。

中津 功(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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