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keyword:生と死
Vol.18  先日、大学の構内を歩いていた時のことである。その前日はかなりの雨と風で、そのせいかあちらこちらに落ち葉やゴミのたぐいが吹きだまったようにたまっているのが目についていた。
 その時、ふと視界の隅の方に何か黒いぼろ切れのようなものがとらえられた。どこからがゴミ袋でも飛ばされて来たか、あるいは強い風で骨が折れた傘でも投げ捨てられているのか、と思い、何気なくその横を通り過ぎようとして、私は一瞬ぎくりとしてその場に立ち止まった。
 それは一羽のカラスの死骸だったのだ。硬直したくちばしや足が宙に突き出している様子が、ちょうど遠目には骨の折れた黒い傘のように見えたのだろう。
 私はしばらくの間半ば呆然として立ちすくんでいた。もう少しで死骸を踏みつけてしまうところだった、というある種の恐怖感もあったが、それ以上に私を立ちすくませたのは、「最後に死んだ動物を見たのはいつだったろうか?」と考えてみた時に、すぐには思い出せなかったことである。それほど長く、私は「死」というものから遠ざかっていたのだ。
 現代社会は「死」を隠蔽する社会である、としばしば言われる。日本では1977年に「病院死」が「在宅死」を上回り、最近では8割を超える人が病院で死を迎えるという。また、現代の小中学生のうちで、「実際に身近な人の『死の場面』を見たことがある」というのは、全体の約5パーセントに過ぎないという。現代社会において、「死」は人々の目から隠され、まるでどこか生きている人間とは関係のない別の世界の出来事であるかのように扱われている。
 しかし、「死」はあらゆる人に平等に訪れるもの、いつ、どこで、どのようにしてかは分からないが、必ず「私」の前にも現れる現実である。だとしたら、今ここにある「生」を、「死」から切り離して考えることは出来ないだろう。「死」をしっかりと見つめる中からしか、本当に生き生きと「生」を生きるということは生まれないのではないだろうか。多くの宗教伝統が、死者は苦痛のない清らかな世界で平和に暮らしている、と教えているのも、「恐れずに『死』としっかり向き合って生きよ」という願いが込められているのではないか、と思えるのである。
 次の日、同じ場所を通りかかると、カラスの死骸はもうその場所にはなかった。ゴミとして回収されてしまったのか、あるいはこのあたりに大勢いる猫たちに食べ尽くされてしまったのかは分からない。しかし私は、あの一羽のカラスが、次の命へとつながるサイクルの中にしっかりと収まってくれるように、と願わずにはいられなかった。

常塚 聴(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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