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Vol.19  

2004年下半期、マジックがブームになっている。テレビにマジシャンが登場しない日はないといっても過言ではない。この時期、「忘年会に、手品を披露できたらいいのになあ」と思っているサラリーマンも多いかもしれない。マジック、当たり前だが、そうそうタネは見抜けない。たまにタネあかしをされたときなど、「私たちはモノを見ているつもりでも、実のところはモノを見ていなかったのだなあ」と思い知らされる。
 ある老人が電車の窓に映る自分の姿に、「お年寄りが座っているな」と思うや否や、その老人が自分であったことにショックを受けたという話がある。これは、自分の姿を実際より若いイメージとして捉え、「こうありたい」と願うイメージをもち続けているから起こる現象なのであろう。私たちはモノだけでなく、他ならぬ自分自身も見えていないと言えようか。
 私にとって、モノを見るということで大変印象深い人はジャコメッティである。スイスの彫刻家・画家のジャコメッティは、ある作品を彫刻していったところ、サイズがどんどん小さくなって、とうとう数センチになってしまった。後に、「その彫刻のモデルを見たのが、遠い位置からだった。それが視覚には数センチに見えたので、そのサイズになってしまった」と振り返っている。恐るべき観察力である。
 その後、ジャコメッティは哲学者・矢内原伊作(やないはら いさく)と出会い、対話を重ねながら彼の顔をデッサンしていく。その絵は、矢内原にはおよそ似つかない姿であった。ところが不思議なことに、「矢内原が年をとっていくと、彼の顔は作品にどんどん似ていったのだ」と彼の家族は語っている。
 この家族の言葉は何を意味しているのか。ジャコメッティは矢内原の本質を見抜いたというべきか。だが、本質を内面へと掘り下げても、モデル(矢内原)は生きているのだから、顔も刻々と変化していく。だから、内面の固定的な本質を掴(つか)みきることはできない。現に、矢内原の絵は未完に終わった。では、ジャコメッティは矢内原に対峙(たいじ)して何をしていたのか。それは、矢内原を見ては、瞬間瞬間をデッサンとして焼付け、またすぐ描き直す、これの繰り返しであった。デッサンに完成はないのである。
 私たちの顔。一日に一度は鏡を前に自分の顔を見るであろう。そして大抵は、今日も同じ顔だという認識をもち、それ以上見ることをやめてしまう。そうしていつの間にか、現実の顔を見なくなり、あるとき「鏡に老人が映っている」と驚く日が来るのかもしれない。だが、ジャコメッティに倣(なら)って言えば、私たちは瞬間瞬間を生きている身である。彼の瞬間を切り取った作品は、時間を超えたような時を私たちに開示してくれる。いつまでも人のこころに残る、いわば永遠の時間を私たちに表現している。刻々と変化する瞬間に、永遠を発見するいとなみは、自分の顔に目をそらして空(むな)しく時間をやり過ごす私たちの生き方に、何か大きな示唆(しさ)を与えているように思えてならない。

嵩 海史(親鸞仏教センター研究員)

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