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keyword:問うということ
Vol.20  生活のなかで、疑問にぶつかることが間々あります。というよりも、〈問い〉なくしてわれわれの生活は成り立たないと言ってもいい。「調子はどう?」という日常からはじまって、あわただしくこのまま過ぎていいんだろうかという問いまで際限がありません。
 気づくと、朝から晩までさまざまな出来事のなかで、出会った人々、そして、自分自身に対して問いを投げかけています。当然、投げかけられたほうは、判断し、決断して、〈答え〉ることが期待されます。確かに、〈問い〉に〈答え〉ることは、コミュニケーションの基礎ですが、そのやり取りに私たちは少し疲れてしまっているのかもしれません。自分で考えずに、誰かに(問い)に〈答え〉てほしいとどこかで願っています。例えば、「あなたの疑問に、お答えします」「あなたに代わって、疑問をズバリ解決します」といった宣伝文句の情報番組が流行っているのは、おそらくそのあらわれかもしれません。それでも、何とか〈答え〉を見つけて私たちは日々過ごしています。
 そんななかでも、答えに臆する問いに出合うことがあります。「どうして、僕は生まれたの?」「どうして、人間は死ぬの?」「死んだら、どこに行くの?」……。そんな問いの前に私たちはたじろぎながらも、沈黙するしかありません。情報番組では間に合いません。切迫した問いの前に、私たちは「どう」することもできません。
 いま、私は、「どう?」という疑問詞を使いました。疑問には、二つの方向性があるように思います。一つは「どうやって」、つまり、解決手段をたずねる場合です。日常の問いは、ほとんどこれです。もう一つは「どうして」、つまり、「なぜ」という理由をたずねる場合です。「なぜ、私は生きるのか。苦しまなければならないのか」。日常では、ほとんど問題になりませんが、危機的状況からの切実な問いというのは、実はここから始まっているのです。
 でも、人間は「なぜ」という問いに立ち続けられません。答えることもできません。そしていつの間にか、危機的状況を「どうやって」解決するか、そちらに問いが転化してしまいます。もちろん、日常を生きるうえで、「どうやって」生きていくかは重要な選択です。しかし、そのなかで「なぜ」という、初めの、そして根元的な問いがいつの間にか消されてしまいます。
 そういった人間のあり方を照らし出し、ふたたび「なぜ」という根元的な問いに立ち戻(もど)らせる。それが、宗教の重要な役割だと私は思います。
 あなたは、「どう」思いますか?

櫻井智浩(親鸞仏教センター研究員)

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