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keyword:無言の癒し力
Vol.29:猫菩薩 武田定光  「わが家では猫を飼っている」。ひとに聞かれれば、そう答えるのだが、実際は「猫がうちをわが家と決めて住んでいる」というのがほんとうのところである。どうみても、人間が主人で、猫をペットとして飼うという関係にはないように見える。
 犬は事情が違う。犬はどうしても、ペットの域を出ない。彼らは集団で暮らす生きものだから、ヒエラルキー(階層制)をもっている。そこにはロイヤルティー(忠誠)もあり、フレンドシップ(友情)もあり、媚(こ)びへつらいもある。生きものとしての成り立ちが、犬をそうさせているだけで、犬を貶(けな)しているわけではない。小生も犬が好きだ。
 しかし、猫はペットの領域に収まり切らない。彼らは単独で生きるものだから、集団生活というセンスはもち合わせていない。いくら可愛がっても、鬱陶(うっとう)しがられたりして見返りがない。食べ物がほしいときだけ、猫なで声を出してすり寄ってきたりする。まったくの身勝手だ。夏には抱いても嫌がられるが、冬には許可もなく膝の上に乗ってくる。そればかりか、悟(さと)りすました顔をして、人間の所業(しょぎょう)をあざ笑うかのような視線まで送ってくる。
 しかし、そんな彼らに魅せられるのは、私ひとりではあるまい。夏目漱石も『我が輩は猫である』などと認めているのだから、同類である。犬では、想念をかき立てられなかったのだろう。
 許可もなく膝の上に乗ってきて、ゴロゴロと喉(のど)を鳴らしてうずくまる姿を見ていると、妙にこころが癒される。この癒しの力はどこから来るのだろうか? それは、如来(にょらい)の慈悲と通じているからかもしれない。如来の慈悲は、「無縁の慈悲」である。無縁の慈悲とは「無条件の愛」ということである。つまり、「相手が可哀相だから」という条件を抜きに発される慈悲である。猫にはそんな料簡(りょうけん)はない。それは「無縁」に近い。人間の事情など忖度(そんたく)しない。
 人間の愛とは違った癒しの力を猫はもっている。もし猫が「あんたも大変だねぇ。毎日あくせく働いて、ほんとにご苦労さん」などと慰めてくれたらどうだろうか。それではかえって、癒されるどころの話じゃないだろう。猫はただ、ゴロゴロと膝の上で喉を鳴らしてくれるだけでよいのだ。それはやはり無言に限る。人間は、人間の言葉程度ではとても癒される生きものじゃない。如来も無言、猫も無言。人間にとって、猫は菩薩のはたらきをする如来の使いではなかろうか。
 今日も、猫菩薩はわが家を、自由自在に徘徊(はいかい)している。

武田定光(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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