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keyword:立脚地(よりどころ)
Vol.30:安心して迷える道 本多雅人  京都の東本願寺から、宗祖(しゅうそ)親鸞聖人750回御遠忌テーマが発表されました。「今、いのちがあなたを生きている」……これを聞いて皆さんはどう感じますか? ふつうは「今、あなた(私)がいのちを生きている」ではないでしょうか。このテーマは何を問いかけているのでしょうか?
 現代人は、確かな立脚地(よりどころ)を見失って、空しさと孤独のなかで生きています。ドナルド=ウィニコットという精神科医は、現代人の特徴を、自分という存在の<ある>ということが見失われ、ただ何を<する>のか、<できる>のかだけが絶対的な価値になってしまっていると指摘しています。さらに、ウィニコットは「子どもというのは、信頼している人のそばだけで一人になれる」と述べています。
 これについて、社会評論家の芹沢俊介氏は、「例えば、お母さんといっしょに砂場にいるとき、子どもは砂遊びに没頭します。没頭しているということは、一人になっているということです。ところがお母さんがちょっと隠れてみると、子どもは不安そうな顔になって、べそをかきだします。つまり<ある>が形成されないうちに、<する>が先行すると、不安な状態をもたらすのです」と語られています。母という自分の生きるよりどころを失うと、何もかも空(むな)しく感じてしまうということです。まさしく、立脚地を失った現代人の状況を比喩的に語っているのではないでしょうか。
 そのような視点でこの御遠忌テーマを見ていくと、どうも<ある>という問題と密接に関わっているのではないかと思います。ここで言われる「いのち」とは、この私に先立って、私を成り立たせている計りしれない「いのち」ということでしょう。例えば、30代前の10億人におよぶ親の一人でもいなければ、今、ここに、私は存在しないのです。あらゆるいのちの営みがこの私にまでなって、この私を支えているのです。ですから、「今、いのちが私(あなた)を生きている」と言うことのできる、私という存在の根拠に頷(うなず)けるのです。
 さて私に、視力を失った友人がいます。その友人は絶望を乗り越え、視力を失ったままに今、生き生きと生きています。彼は、「計りしれないいのちが、この私となり、この私を包んでいることに気づかされたからだ」と言います。結局のところ、私たちは、自分のすべてを無条件に包み、認めてくれる立脚地に出遇(あ)わなければ、自分の現実を受け止められず、空しく生きていくほかありません。彼は「ある」ということに彼自身の立脚地を獲得したのです。そして、その立脚地は、どんな自分でも引き受けて立ち上がっていくという意欲を、彼に与えたのです。人生には、悩み、苦しみが絶えませんが、本当の立脚地を得るとき、その事実を受け止め、安心して迷っていけるのではないでしょうか。
 「今、いのちがあなたを生きている」というテーマは、私にとってかけがえのないいのちを回復し、不安のままに安心して立ち上がっていくことができる真の立脚地を語りかける言葉だ、といただいています。皆さんはいかがでしょうか?

本多雅人(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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