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Vol.31:信仰の背骨 越部良一  ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(以下、引用は原卓也訳、新潮文庫による)のなかで、イワンに悪魔が現れるという話がある。悪魔の話といっても、ある意味では、ごく平凡で、つまらない話なのである。年齢は50くらいの「ジェントルマン」で、顎(あご)ひげをたくわえ、見かけは上等だが流行おくれの背広を着、よく見るとシャツはよれよれである。この悪魔が、イワンをからかって言う。「僕が……<轟音(ごうおん)と閃光(せんこう)を放ちながら>君の前に現れずに、こんな質素ななりでまかり出たのを、君は本当に怒っているらしいね」。
 彼はとてもおしゃべり好きだ。「今の僕はちゃんとした人間という評判だけを大切にして、人に好かれるように努めながら、成り行きまかせに生きているんだ。僕は心底から人間を愛している。……君と同様に僕自身も、幻想的なものに悩んでいるんだし、だからこそ君らの地上のリアリズムを愛しているわけでね」。愛だけでなく、彼には感謝の気持ちもある。リューマチで苦しんだ彼は、ある処方のおかげで快復すると、「こりゃ、ぜひとも新聞の<ありがとう>欄に投書しようと決心してね」。それどころか信心すら、この悪魔は求めもする。「僕の理想は、教会へ行って、純真な心で蝋燭(ろうそく)をあげることだよ。ほんとだよ。そのときこそ、僕の苦悩に限界がくるんだ」。
 イワンはくり返す。「お前は俺の幻覚だ」「しゃべっているのは俺自身で、君じゃないんだ!」。この言葉の不気味な意味をうすうす感じもするから、「お前の存在を信じたい気はする」ともイワンは言わねばならない。幻想か現実か、自己なのか他者なのか。まったく不明な、決して掴(つか)めない存在として、悪魔は描かれる。
 「お前の相手は退屈だ」とイワンは叫ぶ。相手が退屈ででき上がっているのだから。相手は言う。「僕は、しごく単純に自分の消滅を望んでいる」と。ところが人間たちが、否定(悪)がなくて肯定(善)だけでは退屈だと言って、それを許さないのだと。「僕の運命は深刻なんだよ」。人間たちはなるほど善が好きなのだが、悪も好きなのだ。ということはつまり、そこでは善も悪も、本当のところはどうでもよいのである。
 いわば、信仰の背骨が折られたところでは、つまり、地上的なものだけが信じられるところでは、愛、感謝、純真、善……は、その反対のものともども、まったく役に立たない。悪魔は、人殺し、強姦、姦淫、自殺……として現れる。と同時に、そうしたものを慨嘆(がいたん)して見せるところにも現れる。これは実に意地の悪い見方であるが、そこでは信仰の背骨が、その不在でもって浮き彫りにされるのである。

越部良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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