親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 今との出会い
keyword:逆観
Vol.38:石を拝む  武田 定光  向こうから見るという生活習慣を「逆観」と言います。車でガソリンスタンドに行けば、客としての自分の立場は当然あるのですが、向こう側にいる従業員の立場に立ってみる。焼き肉屋さんでは、客として食べる自分ではなくて、食べられる牛の立場に立ってみる。デパートに行ったら店員の立場に立ってみる。電車に乗るときには駅員の立場に立ってみる。つまり、自分の立場ばかりではなくて、向こう側からこっちを見てみるという生活習慣を「逆観」と言います。
 「相手の立場に立ってみる」ということは、口では簡単に言えるけど、なかなかできないことです。また、それを強要すれば「道徳」になってしまいます。所詮、「逆観」は不可能なことです。不可能と知りつつやってみるだけです。ですから、相手がどういうふうにこっちを見ているかは、ほんとうのところは自分にはわからない。たとえ、わからなくてもいいのです。それでもあえてやってみることです。そうすると、何かが違って見えてきます。
 ひとを対象にする場合には、いろいろな感情が付着しますから、なかなかスッキリといきません。しかし、それが動物とか植物や無機物になると、全然違ってきます。彼らは人間にあまり似ていないので、要するに何を考えているのかわからないのです。わからないということがあって、その上で「逆観」をすると、すごくいいのです。
 浄土真宗の在家篤信(とくしん)者を「妙好人(みょうこうにん)」と言いますが、彼らは、これをみんなやっています。石とか牛、猫、花、空、海、木、草など。つまり人間の手の加わっていないものたちと対話しています。ここに逆観の醍醐味(だいごみ)があります。
 私の好きな念仏詩人・武部勝之進さんの詩に「石に遇(あ)う」(『詩集 はだか』)というものがあります。
路傍(ろぼう)に石がころがっている
石は子供に拾われて
ドブの中に沈められても小言をいわない
ああ石の尊さよ
 武部さんは「石」から逆に自分を見つめています。まったく無防備である「石」が、無造作に子供によってドブに投げ込まれたシーンを目撃したのでしょう。「もし、あの石が自分だったらどうだろう。おそらく文句を言うだろう。でも石は文句ひとつ言わない。言えないのだから。それに比べて自分はどうだ。日々の暮らしに不平不満だらけではないか。まったく石に、頭の上がらない自分だ」と逆観が進みます。そこには、石を拝んでいる竹部さんの後ろ姿がありました。

武田定光(親鸞仏教センター嘱託研究員)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス