親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 今との出会い
keyword:生物/環境
Vol.41:じっかいの身の上  常塚 聴  「ところでお前、最近どこにいるのや」
 「それでしたら私、じっかいの身の上で」
 「ほう、二階建ての家というのはよくあるが、十階とは高いところに」
 「いえいえ、私も二階なんですが。よその二階にやっかいになっているので、二階とやっかい(八階)とをあわせてじっかい(十階)」
 落語でなんとなく頼りない人物が出てくると、よくある会話である。要するに落語の世界では、「十階」といえば「居候(いそうろう)」のことなのである。
 さてこの頼りない居候氏、落語のなかではこのあと鷺(さぎ)を捕まえに行こうとして失敗したり、憧れの船頭になったはいいが、夏の炎天下にお客そっちのけでひっくり返ったり、あるいは風呂屋の番台に座って妄想をたくましくしたり、とさまざまに活躍するわけではあるが、私はどうもこの居候氏が他人とは思えないのである。私自身も居候氏同様、いたって頼りない人間であるというところもそうであるが、そもそも人間というものは、みな「居候」のようなものではないだろうか。
 人間はいつのころからか、自分たちがこの世界の主人のような顔をして生きている。いわば、この世界の「家主」のつもりで好き勝手なことをしているのだが、果たしてこの世界は本当に人間の「持ち家」といえるのだろうか。
 例えば、仮に地球上のすべての生物一体ずつが平等に一票の投票権をもつ議会のようなものが作られたとしよう。その場合、人間が議案を提出しても、間違いなく圧倒的多数で否決されるはずだ。地球の生物議会の与党は、確実に微生物が獲得することになるだろう。投票権を種の数ごとに一票と定めても、人間の議席が少ないことには変わりはない。その場合、多数を占めるのは昆虫などの節足動物になる。人間の議席は、ホモ・サピエンスとしてのわずか一議席のみということになる。とても地球の政権を担うわけにはいかない。
 その他、適応している環境の多様さ、個体の総重量などを基準としても、やはり人間が生物界の主役となることはない。人間のひいき目を離れてみれば、地球の「家主」はどうしても人間以外ということになるであろう。地球全体からしてみれば、人類はそのほんの小さな一部に「居候」させてもらっているようなものである。
 人類が地球のいわば「居候」だとしても、果たして人類は地球の「いい居候」と言えるだろうか。あるいは、地球の「家主」から見れば、「そろそろ出て行ってもらいたい」と思われるようなことをしでかしてはいないだろうか。
 落語の世界の居候氏なら、「お天道様と米の飯はついて回る」などと啖呵(たんか)を切って家を飛び出すこともできるだろうが、人類はそうはいかない。もっとも落語でも、いざ飛び出してみても結局は、行く当てもなくふらふらしてしまうことになるのが関の山ではあるが、人類は地球から愛想を尽かされては、それどころの騒ぎではない。
 居候は川柳でもいろいろと詠(よ)まれているが、有名なものに「居候三杯目にはそっと出し」という川柳がある。人類も地球の「じっかいの身の上」なのであるから、そろそろ家主に愛想を尽かされないように、「そっと出し」てみようと考えなければならなくなっているのではなかろうか。

常塚 聴(親鸞仏教センター嘱託研究員)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス