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keyword:抽象的思考
Vol.45:庭 嵩海史  東京保健医療大学の菅原伸郎さんが朝日新聞の記者をされていた時に、鎌倉市にある清泉女学院中学高校の倫理の授業を取り上げられたことがある(朝日新聞2002年9月2日)。
 その授業では、アントニー・デ・メロ著『小鳥の歌』(谷口正子訳 女子パウロ会)の「たんぽぽ」という小話が用いられていた。短いので紹介してみると、
家の芝生に誇りを持っていた人が、たくさんのたんぽぽを発見しました。彼は知っているだけの方法を用いて抜こうとしました。それでもなお、たんぽぽは彼を悩ませつづけました。ついに農林省に手紙を書きました。試みた方法を列挙し、次の質問で締めくくりました。「わたしは今、何をしたらいいでしょう」
ほどなく返事が来ました。「たんぽぽを愛そうとしたらどうですか」……

という小話である。
 所有する庭への強い愛着が、芝生だけしか許さない庭となり、たんぽぽが生えてくる現実を現実として認めることができなくなってしまっている。この庭の所有者は、たんぽぽを見るたびに苦しみを引き起こしてしまう。おそらくこの人は、自身の庭以外の場所でたんぽぽを見かけても、別に目くじらをたてることはないのだろう。ただ自分の思いどおりの庭にならないから、庭のたんぽぽが憎くなってしまうのではないか。
 以前、自然愛好家の方から「雑草という名の草はない」という言葉を教えてもらったことがある。私たちは名の知れた草花を愛(め)で、名を持たない、名を知ろうとしないものを「雑草」として分類してしまう。当然、雑草にはたくさんの種類があるはずだが、一度、雑草と認識してしまうと、私たちはもう草の種別、草の個性には関心が向かない。
 先の小話で農林省の方が言った「愛そうとしたらどうですか」も、たんぽぽの一輪、一輪に注意を促す言葉である。一度、雑草として邪魔になってしまったものは、その草の個別性を離れ、よく知ろうともしないで抽象的にしか捉えられない思考の型は、庭や雑草だけに留まる話ではない。

嵩 海史(親鸞仏教センター研究員)

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