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keyword:自然/災害/人間
Vol.50:1923・2007 常塚聴  日本は地震大国である、ということは頭ではわかっているつもりであったが、いざ身近に振りかかってくると、やはりあわててしまうものである。
 先日、実家の近く(能登半島)で大きな地震があった。私の家族や近隣の方々には大きな被害はなかったが、知人のなかにはかなり大きな被害を受けた方もおられ、完全な復旧には相当な時間がかかりそうだということである。
 この地震は百年に一度という規模であったということだが、百年という時間は地球の側から見れば決して長い間隔ではない。人間の尺度で言えば「滅多にない」ことだが、地球にとっては「いつものこと」と言えるであろう。
 あらためて、「地震は起きない」と高を括(くく)っていられる場所は日本にはない、ということを思い知らされたわけだが、この「地震」というものに対して日本人は、西欧の人たちとは少々異なった感覚をもっているのではないだろうか。
 概して、ヨーロッパやユーラシア大陸の中央部では、大きな地震が起きる確率が比較的少ない。これは、地震の大きなメカニズムの一つであるプレート・テクトニクスによるものであるが、そのためでもあろうか、キリスト教でもイスラム教でも、大地震は世界の終末、いわゆる「最後の審判」の前兆の一つとして考えられている。
 西欧においては、世界あるいは時間は直線を描いて推移すると考えられる場合が多い。その考え方では、あらゆる出来事は「ただ一回だけ」起きるものであり、そしてその直線の最後には、大地震とそれに続く「世界の終わり」があると考えられている。
 それに対して、日本では地震などは「いつものこと」である。地震が起こっても、それがすぐに「世界の終末」などとは結びつけられはしない。そもそも多くの日本人の感覚のなかでは、世界が「いつか終末を迎える」ものであるとは考えられてはいない。日本人にとって、世界は基本的にはいまの形のまま永久に継続していくもの(「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」)にほかならなかったのである。西欧の時間が「直線的」であるとするなら、日本人の時間は「円環(えんかん)」を描いていると言えよう。
 そのような日本人の時間感覚のなかで、「地震」がどのように考えられていたのかを示す興味深い例の一つが、大正12(1923)年の関東大震災のときに広まった流行語のなかにある。当時の記録によれば、多くの人が大地震は「天譴(てんけん)」つまり「天の怒り」であると感じていたというのである。自然の力の前には人間の営為など無力である、という溜息(ためいき)は、大きな災害が起こったときに、現在でもしばしば聞こえるものであろう。永久にいまのまま続いていくはずの世界、あるいは社会の仕組みに対して走った一瞬の亀裂、それが日本人にとっての地震の意味なのではないだろうか。
 もう一つ見過ごせないのは、日ごろ心の深いところに抱えていながらも、他人はおろか自分にも目につかないように厳重に押さえつけられている感情が、このように日常性が破れたとき、往々にしてむき出しになる、ということである。記録によれば、関東大震災のときの流行語は、先に挙げた「天譴」だけではない。当時、多くの人の口にのぼったのが「この際やっつけろ」という言葉であったことも記録されている。この言葉を口にしながら、そのとき人びとがどういった行動に出たのかは、あえて言うまでもない。そして、「この際」に「やっつける」ために作られた「自警団」(これも当時の流行語であるが)という組織が、その矛先(ほこさき)を徐々にどこに向けていったか、そしてそのことと決して無縁ではない時代の流れがその後この国をどのような方向に進めていったかについても、多言は要しないであろう。
 日本人の地震観に代表される、災害が「天の怒り」であるとする発想には、しばしば襲ってくる人間の力ではどうすることもできない自然の力に対するあきらめと受容という側面もある。しかしその一方で、一切の人間の行為の責任を「天」、すなわち自然の力というブラックホールに吸い込ませてしまい、理性的な判断を停止させ、日ごろ押さえつけていた感情を、「この際」とばかりに、むき出しにしてしまう危険性をはらんでいるとも言える。歴史上の一つの事実として関東大震災のときに何が起こったかが、そのことを如実に示している。
 80余年前の日本人が陥ってしまったこの落とし穴から、果たしていまのわれわれは無事に抜け出したと言えるであろうか。地震が起きると、株式市場は「地震特需」を見込んで大きく動くという。阪神大震災のときは、それが「地震兵器」なるもののせいだと主張した団体があった。先日の地震のあとも、科学的根拠に乏しい「前兆現象」を観測していたという記事があった。こうしたことの背後に、「この際やっつけろ」という声がかすかに聞こえてくるような気がしてならないのである。
 地震大国である日本において、地震が起きることは避けようがない。だとすれば、再び同じ穴に落ちないようにするためにわれわれができることは、どのような場合でも、物事に対して自分なりに考え確かめる理性を手放さないということしかないのではないだろうか。

常塚 聴(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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