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keyword:さびしさ/金子みすず
Vol.62:さびしさの行方 田村晃徳  15歳と言えば、多感な時期だ。今となれば、自分にもそんな時代があったのだろうかと、あやしくもなってしまうが、確かにあったのである。その時の私は何を感じ、考えていたのだろうか。
 このようなことを書いたのは、ある調査が気になっているからだ。ユニセフがOECD加盟国の25ヶ国、いわゆる先進国を中心に行った「幸福度調査」(An overview of child well-being in rich countries)の結果を2月に発表した。その結果、ある項目で日本の15歳は他の国をさしおいて、29.8%で堂々の1位に輝いた。「やはり日本は幸せな国なのか」と安心してはいけない。その1位になった項目とは、「さびしいと感じる」(I feel lonley)なのである。つまり、日本の15歳は他の国よりも「さびしい」と感じつつ生きているのである。ちなみに、日本が1位に輝いたのは、他にもいくつかあった。ここで「何だ、やっぱり日本は幸せじゃないか」と考える人は、よっぽど幸せな人であろうが、そんな人はいないだろう。その項目の一つを紹介すれば「自分はやっかいで場違いな存在と感じる」(I feel awkward and out of place)なのである。ため息さえも、出てこない。
 もちろん、調査報告にも記されているように、「さびしい」とは各国において感じ方は異なるから、一概には言えない。だが、その点をさし引いても、今回の調査で示されている数字を見すごすことは出来ないだろう。
 「さびしい」とは、友達がいないということを必ずしも意味しない。かえって、友達といるときにこそ、さびしさや孤独を感じることもある。携帯電話のメールの送受信に忙しそうな十代をみていると、「つながり」の感覚が私とは違うのだろうと思う。私からみると、彼らのつながりは、今にもほどけそうな糸の結び目のように見える。早急にして性急なメールの送受信は、結び目がとけぬよう必死で繕(つくろ)う姿なのか。
 つながりについて考えるとき、私は次の詩を思いだす。

 さびしいとき          金子みすず

わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。

わたしがさびしいときに、
お友だちは笑うの。

わたしがさびしいときに、
おかあさんはやさしいの。

わたしがさびしいときに、
仏さまはさびしいの。

 

みすずのこの詩を読んだからといって、15歳のさびしさが解決するわけではない。ましてや仏教を信じればさびしさがなくなる、ということもない。ただ、この詩を読むとなんとなくではあるが、気持ちがほぐされていく気がするのは何故なのだろう。自分は、実は一人ではなかった、ということに気づくからだろうか。それとも、さびしいときに求めているものは、同情でも励ましでもなく、ただそっとそばにいてくれる誰かであることを教えてくれるからなのか。
 かれらのさびしさは、どこに向かい、私たちに何を告げようとしているのだろう。

田村晃徳(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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