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keyword:人間関係
Vol.67:感謝と慚愧 楠宏生  私たちは、この限られたいのちが充実したものでありたいと願っている。だから、われわれは、「しあわせ」を求めて、日々の生活を奔走(ほんそう)している、と言ってもよいかもしれない。
 人間は、どこまでも人と人との関係存在としてあり、人と人との関係を切り離しては生きていくことのできない存在である。それ故に、「共に生きている存在」であることが、「人間」という言葉そのものによって明らかにされている。しかしながら、われわれは共に生きていくことを切望しながらも、自分の思いに適わないことがあれば、それがどんなに些細(ささい)なことであっても許すことのできない心をもっているのではなかろうか。また、そこには、他者を認めることができないとき、その人との関係に深い溝をつくり、どこまでも自分の思いを正当化し、主張している私自身の姿があるのではなかろうか。言い換えれば、関係を拒否している自分、わが身すら生きられない姿があるのではなかろうか。そのような自分は、どのようにすれば人と本当の関係をもつことができるのだろうか。
 ところで、人間は、「言葉」をもつ存在であると言える。しかし、われわれは、ことばを持ちながら、本当にことばを語ることができているのだろうか。自分の想い、そして怒りにまかせた心で、人を傷つけ、悲しみの底に陥(おとしい)れようとする、あるいはその人との関係を完全に引き裂いてしまうような言葉を言ってしまうことさえあるのではなかろうか。
 われわれは、何でも言葉を言うことのできる自分の身でありながら、本当の言葉を言えない自分がある。私は、人と言葉とを想うとき、祖父の話をたびたび思い出す。その話とは、「感謝」と「慚愧(ざんぎ)」である。「「ありがとう(感謝)」、「すみません(慚愧)」と素直にその言葉がでてくるということ。そこに、そのひと自身に幸せが成立ってくるのではないかと思う。だから、「ありがとう」と言えない人からは幸せは逃げていくし、「すみません」と言えない人は、その人から幸せは去っていくのではないだろうか。「ありがとう」、「すみません」というところに、自己の上に幸せが成就してくると思う」と。
 人と人との関係にありながら、その関係を生きていくことができない私。そして、関係存在であることを否定し、その人が私の目の前にいて、そこに関係があるのに遠ざけて見ないようにする私。「感謝」と「慚愧」。「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉に出合うとき、そのことを素直に言うことのできない私の姿が教えられているように思う。

楠 宏生(親鸞仏教センター研究員)

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