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keyword:生きたしるし
Vol.68:生きることの意味と価値 大谷一郎  最近、人は「生きたしるし」をこの世に残さなければ自分がこの世に存在した意味がないと思う人が多いように思われる。「生きたしるし」とは一体何だろう。それは自分自身の生きることへの問いでもある。
 人はいろいろなことに意味を求める。意味がないと生きていけない存在になってしまった。人生にも仕事にも、遊びにさえも意味を求める。他の動物や草木のように、授かったいのちをそのままいただき、全うすることのできない存在である。
 このところ、その「意味」が「価値」と同等のものになってしまったと感じる。「人生の意味」、「仕事をする意味」、が「人生の価値」、「仕事をする価値」、と。現在の企業社会は苛烈(かれつ)な競争社会であり、短期間に目に見える形で成果を上げ続けていくことが求められる。また、家庭においてもそれぞれの役割の中で、何らかの形で成果を上げることにより、自分自身の存在価値を見いだそうとしているように思う。皆が必死で何らかの結果を出すことにより価値を生み出そうとしている。何故か? 価値がなければ意味がない社会だからである。そんな社会では、たとえば寝たきりでなんら社会に貢献することが出来ないなら、価値がゼロ。生きている価値がないということになりかねない。このことは近年の自殺件数の多さと無関係とは思えない。
 釈尊の「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言葉は、一人ひとりの人間が、そのままで尊い存在だ、ということだと思う。この世に生を受け、生きている、そのことだけで尊いのだということである。言葉をかえれば、成果を上げ価値を生み出そうとしなくとも存在そのものが大切なのだということだ。そこで、生きるということに対し、自分でいろいろな意味付けをすることが無意味だと気づかされる。
 V.E.フランクルは『夜と霧』(霜山徳爾訳、みすず書房)の中で、いのちの意味について、人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのだと言っているが、生きることの意味は、いのちそのものから問われてくるのだろう。
 「生きたしるし」は、生きることに無理に意味を求めなくなった時、自然にかたちづくられるものなのかもしれない。

大谷一郎(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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