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Vol.74:生きる意味とは 中津功
入れものが無い両手で受ける
 漂白の俳人・尾崎放哉(1885〜1926)の晩年の一句である。何の飾り気もなくうたわれた心が、百年近い歳月を越えて伝わってくる。今の、物が氾濫(はんらん)しながらも、渇いて貧しい、不安に満ちた時代に吹き込む新鮮な風のようにさえ感じられる。
 思えば、敗戦後の焼け野原の、衣食住に事欠くどん底の状況から、持てる力を総動員して築き上げてきた現代社会の繁栄ぶりだが、そして日々、その恩恵に浴していながら、手放しで喜ぶことはできない。
 失業者は増大し、ニートやワーキングプアばかりでなく、生きる意欲を喪失した人々や、年間3万人を越す自死者が依然として後を絶たない状況は、現代社会の抱えている深刻な暗部である。これが「われらの世界」の現実である。不況のせいばかりにはできない(この不況も人為なのだが)。人間が使用してみんなが幸せになるはずの、最新鋭の便利で効率のよいさまざまな道具が、プラス面ばかりでなく、人間から仕事を奪い、格差を拡大させるという構図となっていることも否めない。現代社会が夥(おびただし)い人々の犠牲の上に立っている現実を度外視できるだろうか。走り競争を、「負けるひといるからおかげで勝てるんだ」と歌った小学生の川柳があるが、期せずして大人社会の、勝ち組に与(くみ)して負け組にはなるまい、自分さえ良ければという人間の欲望が渦巻きエゴが増幅している姿を焙(あぶ)り出してくる。現代社会の状況が、そのまま人間自身の生き方を厳しく問いかけている。
 そして、だれひとり避けることができないのは、「朝(あした)には紅顔ありて夕べに白骨となれる身なり」という自らの死の事実である。この事実の前に立つとき、無意味な人生、何かの犠牲となる人生、モノとして扱われ、後悔や怨みを残すような人生で、決して終わることはできない。人間として生まれ、必ず死ぬいのちを生きる意味が、自我の意識を超えたいのちそのものの「至盛(しじょう)の要求」として間われているのである。この問いこそが、人間存在の意味をかぎりなく見いださずにはおかない、真実の出遇(あ)いを開く恩恵なのだと知らされる。
 赤ちゃんが裸一貫の身で輝いているように、どのような厳しい状況にあろうとも、"生きている そのことが尊い"といえる、素手(すで)で人生を受けとることのできる地平を足下に踏みしめているのである。

中津 功(親鸞仏教センター嘱託)

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