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Vol.82:理念との密会 越部良一

「もしある人が、例えばフリードリッヒ六世は中国の皇帝であったと言うなら、それは嘘だと言える。これに反して、ある人がどれほど死について考え、例えば死の確実性をどれほど考えたかを語る時、だからといって彼が実際にそうしたということにはならない」(キルケゴール『哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき』)。例えば歴史上の人物なら、客観的なものとして、直接目にしたり、直接触れたりできたであろう。哲学的、宗教的な真実は、内面のものであるから、そうした直接性をもちえない。だから外からではその真実は分らない。「それでも彼が嘘をついていると知れるうまいやり方はある。彼をただしゃべらせておくのだ。彼が欺瞞(ぎまん)者であるなら、自己自身に矛盾する。それも彼がきわめて熱を込めて言明するときに。この矛盾は直接的なものではなく、言い表すこと自身が、それ自身のうちに、それが直接言っていることについての意識を含んでいないということなのである。その言い表しは、客観的に理解されるなら直接的でありうるが、この人は間違いを犯すのである。つまり彼は口真似をする」(同上)。
 キルケゴールは人間を実存と捉えたが、それを「エロース」で説明している。「プラトンで、愛は明らかに実存を意味している。…プラトンによれば、貧しさと豊かさがエロースを産み、エロースの本質は両者から形づくられている。では実存とは何か。それは、無限なものと有限なもの、永遠的なものと時間的なものから産まれ、したがって常に追求しているあの子供である。これがソクラテスの見解であった」(同上)。「実存する者として人間は理念にあずからねばならないが、人間自身は理念ではない」(同上)。人間は理念(無限なもの)をもつから、例えば、いつも死を忘れるな、と思うことができる。しかし人間は有限でもあるから、たえずそこから逸脱する。人が自己の心中の理念に重みをかけるとき、それは有限性との平衡関係にようやく近づくから、哲学的な課題は、そのような仕方で、この困難を見ながら進んでいくことにある。自己が単に有限化しても、あるいは完全に無限化しても、この困難は消え失せてしまう。
 理念が外在化されて世間に流通するとき、ともするとそれは本来の在りか、内面性とそこにある自己の有限性を見失う。そこに口真似が起こる。それは、本来内面的であるものを、ただ外面的なもの、客観的なものとして発声する嘘となる。それはまた、有限と無限との混在である人間を、あたかも無限だけであるかのように提示する嘘ともなる。哲学的には、内面的なものが外に言い表されるとき、内面の内容とは正反対の形をとるのがむしろふさわしい。「内面性と反対のものの形が完全であるほどに、内面性は大きくなる。反対のものの形が存在することが少なく、伝達の直接性があるほど、内面性は少なくなる」(同上)。だから例えば、「ソクラテスは自己自身のもとにあらゆる悪への傾向を見出したという話である」(同上)。これは「不確かさの果てしない海の上で、理念における、神とのソクラテスの密かな逢瀬」によるのである。

越部良一(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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