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keyword:自由・自分
Vol.85:自由ということ 内記洸  「生き生き しっとり 自分流」。これは、小学校時代の恩師が私たちの学級目標として掲げたものだ。このテーマを後押しするかのように、当の先生ご自身が生徒の一人ひとりに目を配り、子供の個性がもつ可能性というものに目を向けられる方だった。小さなコミュニティにおいては特に、価値観というものは一定のものに固定しがちである。例えば、運動か、あるいは勉強か、というように。そうした中、この学級目標は、「生き生き」、「しっとり」という言葉が示すように、自分らしく、固定的な価値観に縛られない「自由」な発想をしていいんだよ、という先生から私たちへのメッセージであった。
 この「自由」ということばは、「自ずから〔自ら〕に由る」と書く。つまり、「自由であること」は「自分であること」を離れてはあり得ない。言い方を変えれば、一人の人間が、自身が望むように「自由」であるということは、絶えず、その行為を「自ら」引き受けるような責任の主体を、明確なかたちでの「自分」というものを要求する、ということだ。「自分」がはっきりしていないような「自由」はない。
 だからかは分からないが(少なくとも今のようにはっきりとそう考えていたわけではないが)、当時の私の目には、上記の学級目標、つまり、与えられたこの「自由」ということは同時にひとつの巨大な「課題」とも映った。自分のやりたいことがはっきりしないという以上に、「自分らしく」ということがどういうことか、子供ながらに分からなかった。規範や模範という、外から与えられる"調和"に馴染(なじ)んでいる子供にとって、自ら意志することはできても、「自分」そのものは未だ問われざるひとつの謎である。そして、分からない、という点では、今もそれは変わらない。
 現代という時代は、"人間らしく生きること"を求める先人たちの努力によって、権利の保障、福祉の充実をもって成立してきた。この意味で現代とは、客観的に言って、過去と比べてはるかに"自由"となれるよう、その環境が整えられているはずである。しかし、個々人の主観的な感覚からすると、自由たろうとする内外からの要求ばかりが強くなって、私たちは少しも自由になっていない。わがままになっているだけで、少しも「生き生き」「しっとり」していない。それは、「自分とは何か」という問いに対して、一人ひとりがその答えを喪失しているからではないか。「自分」というものが本来依って立つ「場所」を見失っているからではないか。「自分」とは、決して自分ひとりで自分であることができない。頭では分かったつもりでも身体がうなずかず、"自分"の中で堂々めぐりしてしまう。

内記 洸(親鸞仏教センター研究員)

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