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Vol.86:エコブームに思う 花園一実  近頃、テレビを観ていても街を歩いていても、「エコ」の二文字を見ない日はない。この「エコ」という言葉は、言うまでもなく「エコロジー(Ecology)」の略称であり、具体的には生態学を基にした思想・社会活動一般を指すものであった。しかし、ここ数年では完全に「エコ」という独自の和製語として定着してしまっているような感じを受ける。
 なにか唐突に始まったように感じられる昨今のエコブームだが、環境や生態について思いをはせることは非常に大切なことだと思うのと同時に、このように一つのブームになってしまっていることについて違和感を感ぜずにはいられない。例えば、エコをうたい文句にしている家電製品に買い換えたとき、その人の頭には「地球に優しいことをした」という一つの満足感が残るかもしれないが、その買い換えによって捨てられていくモノについて省みられることはまずない。そこに罪悪感は残らない。「エコ」の名のもとに正当化されてしまうのである。どうやらこれが違和感の正体ではないかと思う。どんなに高尚な理念であっても、そこに問題意識を持ち続けることがない限り、それはやがて人間によって固定化され歪(ゆが)められてしまう。和製語の「エコ」には、この問題意識が著しく欠けているように思えるのである。
 環境問題について考えようとするとき、かならず私は友人から聞いたある話を思い出す。南米アンデスの先住民の「ハチドリのひとしずく」という民話である。
森が燃えていました 森の生きものたちは われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは いったりきたり
くちばしで水のしずくを 一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます 動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」 (全文)

「地球のため」という語には、どこか地球を客観的に捉(とら)えている印象を受ける。それは、「私」と「地球」を切り離しているからこそ生まれてくる言葉なのだろう。しかし、環境と自己は本来不可分なものである。ならば「地球のため」の前に「自分のため」と言うべきだろう。言うなれば、「エコ」は「エゴ」だと公言しながら、それでも悠然と環境運動を続けることが大切なのではないだろうか。「私は、私にできることをしているだけ」というクリキンディの態度は、欺瞞(ぎまん)に満ちた現代のエコブームを照らす光であるように思える。

花園一実(親鸞仏教センター研究員)

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