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Vol.89:いのち 田村晃徳  言葉というのは不思議なもので、同じ表現を用いても重さがまったく変わってくる。現代ではその最たるものが「いのち」であろう。国会の演説で「いのち」を連呼した首相がいた。しかし、その人の首相としての政治「生命」が存外短かったことに象徴されるように、いのちとは、その重大性を口にすることはできても、それを実感することはなかなか難しいというのが実際ではないだろうか。いじめなどで自らその生涯を絶った生徒の学校の校長が、全校集会で「いのちを大切に」ということを訴えるときに、虚しさを感じるのは私だけではないはずだ。なぜ、それを生きている間に伝えることができなかったのかと。
 いのちが大事なことはわかっている。さらに言えば、それは一つの大前提とさえなっている。しかし、問題はその一見わかっていると思われていることを、どのようにして人々に新鮮な形として伝えるかだろう。当たり前と思うことで、人は思考停止に陥(おちい)り、再び考えようとはしない。だが、いのちは本来は私達に何かを訴える力をもつ言葉のはずである。奇妙な謂いになるが、「いのち」という言葉にいかに生命力をもたせるかは、案外大切なことではないだろうか。いわば、いきいきとしたいのちである。
 よくお寺で話すのだが、私たちは『大無量寿経』が「独り生じ、独り死し」というように、それぞれ別個の人間として生きている。しかし、そのような私たちであっても共通して迎える日が二つある。それは誕生日と命日である。誕生が面白いのは、私たちはそれを体験しながらも憶えていないことであり、逆に言えば憶えていなくとも、必ず体験していることである。それは命日もそうだろう。それはまだ体験していないが、必ずいつか体験する。しかし、体験した瞬間それを誰かに話すことはできない。自分たちにとって欠かすことの出来ない最も大切な出来事について、私たちは何一つ自分の体験として語ることができないという事態にぶつかるのである。ならば、誕生と死の重要性について感じることはできないのだろうか。
 誕生と死の感覚を私たちに教えてくれるもの、それは他者の存在であろう。赤ん坊の産声を聞いて誕生の感動を知り、誰か大切な方がその生涯を終えることを通じて、死の重さを体感する。言うならば、他者の体験を自分の体験とすることを通じて、私たちは命の重さを教わるのである。そこにはいのちの意味を感じるだろう。それを仏教では「縁をもとに自分を考える」と言うのであるが、ここに大切な点がある。それは誕生も死も大切なことならば、今現にこうして生きている自分は大切な生を送っていると言えるのだろうか、という問いに気づくことである。
 仏教が人々に伝わりにくいのはなぜか。それは現に生きている人々に生きている重要性を伝えようとするからだ。しかし、逆に言えばそこにこそ仏教の大切な使命がある。「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」とは、三帰依文の言葉である。この言葉がわれわれに伝わるとき、それはいのちの生命力が伝わるときである。

田村晃徳(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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