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keyword:声、自分、他人
Vol.94:ひとの声 自分の声 内記洸  「いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。」

 これは、詩人で、かつてシベリアに抑留された経験のある石原吉郎氏の言葉だ。たくさんの人々の声が騒音のようにそこかしこから聞こえてくるのに、自分の声は決してひとに届くことがない――これは、物理的な意味での声がひとの耳に届かない、という意味ではない。音声としての声は伝わっているが、その声が≪他ならぬ自分自身の声として≫受け取ってもらえない、ということだろう。それは例えば、電子音で構成された、感情も抑揚もない機械的な音声をイメージしたらよいだろうか。誰から発せられたとも言えない、背景を失った言葉。どれだけ大声を上げようと、どれだけ声を振り絞ろうと、自分の発する言葉がそのような単なる「音」としてしか目の前の人間に理解されないとしたら、それはどんなに恐ろしいことだろう。そのひとの目に映る「私」は、歴史も人格も抜け落ちてしまったような“ただの人間”なのだ。
 そのようなことを考えていたところ、先日、藤川幸之助氏の講演を拝聴する機会があった。詩人である藤川氏の“声”は、ひとの心に染み入る“声”だった。今まで会ったこともない、多数の“無関係”な聴衆を前に、これほどまでに私たちの心を打つ藤川氏の言葉を聞いていて、ふと、「自分の声」と「ひとの声」というものがひとつに重なるような感覚を覚えた。
 藤川氏が紡ぎだす言葉の背景には、アルツハイマー病によって言葉を失ったお母さんの看護生活がある。20年間、徐々に記憶を失い、言葉を失っていった氏のお母さんは、言葉によって私たちが日常つくりあげている意味の世界を喪失している。何を理解し、何を理解していないかすらもはやわからない母を前にして、しかし藤川氏は、これほど母の存在を深く感じられたことはかつてなかったと言う。お母さんの発する声、それは既に「言葉」としては何の意味もなさないものであるが、それにもかかわらず、藤川氏には「母の声」としてちゃんと届いているのだ。そして、息子が聞き取ったこの母の声こそが、藤川氏の紡ぐ詩を“声”として私たちに届けてくれているのではないか。そこにあるのは≪伝えるための言葉≫ではなく、あくまで≪伝わった言葉≫である。
 だから、自分の声が届かないところというのは、おそらく、ひとの声を受け取れないところだ。顔と顔とを突き合わせてしゃべっている、すぐ傍らにいる人の言葉を、自分はちゃんとそのひと自身の“声”として聞き取っているのだろうか。「声」ではなく、「意味」のやり取りばかりしてはいないか。考えてみれば、仏典の語りもまた、すべて「如是我聞(かくのごとき、我<われ>ききたまえき)」から始まっているのだ。つまり、詩であっても経典であっても、あるいは日常の何気ない会話においても、それが「声」のやり取りであるかどうかは、言葉の「形」とは関係がない。おそらく、表現の「形」にすら関係ない。私たち一人ひとりがどのような「形」で自分を表現したとしても、その私の声をひとに伝えるのは、私に届けられるひとの声なのだと思う。

「母よ あなたはもう喋らなくなった しかし、私の声の中に あなたはしっかりと生きている / 母よ あなたはもう考えなくなった しかし、私の精神の中に あなたはしっかりと生き続けている」(藤川幸之助『まなざしかいご』 「私の中の母」より抜粋)

内記 洸(親鸞仏教センター研究員)

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