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出版物紹介
情報誌 アンジャリ
呻きつつ求める者

田島 正樹
 ヴァルター・ベンヤミンという批評家がいる。幾多の不運に、もみくちゃにされ、定職にもつけず、仕事もほとんど理解されず、国を追われ、亡命途中ピレネー国境を越えられず、自殺したと言われている。ハンナ・アレントはベンヤミンの友人で、彼の遺稿を救った一人であるが、彼を、絶えず貧乏くじを引く不運な男として描いている。たとえば、彼の最初の出版物は学界の大御所への批判を含んでいたため、その後、彼を永遠に学界から遠ざけたと言われるが、彼自身はそんなことは思いもよらず、その大御所からも当然受け入れてもらえると思い込んでいたのだ。それをアレントは、彼の不器用さが招き寄せてしまう不運の一つと見ているが、果たしてそうだろうか? 幼いころからとびきり理解ある理想の交友に取り巻かれたことからくる、人間理解に対する大いなる楽観が、そうしてしまうのではないか? つまり、彼の不運は、彼のまれな幸運の結果なのである。
 ベンヤミン自身、自分をとりわけ不運な人間とは考えていなかったように思われる。国境での服毒も、実は一芝居打つつもりで、本当に死ぬつもりがなかったのかもしれない。実際、その死に当惑した国境の役人は、その翌日には国境閉鎖を解き、ベンヤミンに同行した数名の難民は、そのおかげで亡命に成功した。
 ベンヤミンはあるとき、パリのカフェで、それまでの自分の人生を省みて、自分を形成してきた人々との出会いの連関というものを、まざまざと実感した。彼をユダヤ教の伝統に開眼させたのは、友人のゲルハルト・ショーレムであり、マルクス主義への窓を開いたのはラトビアから来た共産主義者アーシャ・ラツィスという女性であった。また現代演劇には、ブレヒトという理想的な導きがある。他にも、アレント、アドルノ、ブロッホ、ホフマンスタール…と綺羅星(きらほし)の如き思想界の英雄たちと親しかったベンヤミンは、ヨーロッパ精神の精髄を空気のように吸って成長したのである。
 世間的成功には恵まれなかったものの、裕福で文化的な育ちをはじめ、その境遇をたいへん恵まれたものと感じていたに違いない。亡命の決断が遅れたのも、パリで利用できる図書館への未練が絶ち難かったためだ。恵まれた環境と極めて高度な知性や洗練された女たちに取り巻かれたベンヤミンは、自分の知的世界を、書物で学んだ理論やイデオロギーによってよりも、友人たちとの会話によって形成していた。それゆえ何かについて考えるときも、理論で割り切ろうとするより、アーシャならどう言うだろう、ブレヒトならどう思うだろう、ホフマンスタールならどういう判断を下すだろう…などと自分の中で会話を楽しむように思考をめぐらしたのである。
 このことは、彼自身の思想に極めて独自の色合いを与えている。マルクス主義者を自認したが、それはアーシャの生き方としてであり、ユダヤ教も彼にとってはショーレムの人格として存在するものであった。それらは決して、完結した教義とか、何にでも適用可能な理論図式といったものではなかったのだ。
 そのことは、書物や書物の中の人物についても同様である。おそらくカフカやプルーストは、彼にとっては友人や恋人と同じくらいリアルな対話相手だったのである。ある人物に紹介されて別の人物と知り合うように、ある本から他の本へと、複雑な知り合い関係が形成されていく。こうして、相互に関係し、参照し合う複雑なネットワークができあがる。まるで森林の生態系のように、コケやキノコまでが互いに共生する精神世界。ある人から見える同じ世界が他の人には別様に語られよう。バルザックの作品群(人間喜劇と呼ばれる)が、幾人も同じ人物を別々の作品に登場させながら、それぞれの作品では彼らの別の一面を見せるようなものである。ある作品で主役を演じる者が、別の作品では背景を飾っていたり、わずかに噂(うわさ)に上るだけだったりするのだ。
 こうしてベンヤミンの世界は、その部分・部分が互いに参照し合うそれぞれ一冊の書物であるかのように、そしてその全体が何千何万の書物からなる一つの図書館であるかのように立ち現れる。
 もし我々自身の人生が本当にこのようなものだとしたら、それは中々もって興味深いものとなるのではないか? 我々は普通、そんなふうには感じない。すべての出来事が砂粒のようにバラバラで、何の意味もなく起こり、何も残さず、互いに無関係なまま消えてゆき、忘れ去られ、ただ別のものに置き換わるだけ…と考えてしまう。しかし、ここで生じたことが別のところからは別様に見えるように、全く別々のものに見えたことが本当は緊密な関係をもって生起しているのだとしたら、そしてそれらを包み込むネットワークは極めて複雑なので普通は気づかれないが、その実よく見ればそのことがわかるとしたら、また、その遠く隔たったもの同士の連関が、偶然思いがけず明るみに出るようなことがあったら、いや、自分自身の人生の中でも、まったく無関係と思われていたことに、よく知られていなかった深い運命のつながりがあったということが、まざまざと思い知られるようなことがあったら、それによって金が儲(もう)かるとか、仕事にありつくということがなくても、いやはやそれは驚嘆に値するほど興味深いことなのではあるまいか? そのような洞察が人生の最後に訪れたとしても、それだけで自分の人生の半分くらいは救われたような気がするのではないか? そこに我々は、不思議な運命を感じて、陶然とするであろう。人生の無意味に見えた一コマ一コマが、苦しみに呻きながら歩み続けた一歩一歩が、それでもそれがなければ、ここにはたどり着けなかった一コマであるがゆえに、まるで芸術作品の一断片であるかのように、どれもが欠き得ぬ一コマであったことに気づいて、「それならば、これでよかったんだ!」と言いたい気持ちになるのではないか? 人生や世界がこんなふうであったら、どんなに意義深いものであったろうに!
 仏教では、これを華厳世界と呼ぶ(らしい)。どんな存在も他の一切の存在と目に見えぬ因縁で結ばれ、風が吹くと一斉に風鈴が鳴るように、どんな些細(ささい)な出来事も全宇宙に波及し、共鳴し、鳴動し、一切から一つへ、一つからまた一切へと、運命の糸によって結び合い、受け継がれる華厳の波紋。
 実はそれと似たようなことが、ライプニッツの単子論にも見られる。それによれば、あらゆる存在は、モナド(単子)として多かれ少なかれ精神に似た「表象」をもち、互いに映現し合い、無数の合わせ鏡のように緊密に結ばれている。ライプニッツは、「モナドは宇宙の生きた鏡である」とし、そのような生きたモナドからなる「宇宙には、不毛なところ無意味なところなど一つもない」と主張した。ただ、我々自身、そのことを常にはっきり意識しているわけではない。宇宙の片隅からのどんな些細な鳴動さえも、たしかに既に我々の心のひだに微小な震動の痕跡を残しており、それゆえいかなるモナドも、宇宙の生きた鏡として全宇宙をくまなく映し出してしまってはいるのだが、そのことを判明に意識するには至らないのである。
 しかし、いずれにしても、残念ながら少なくとも一見したところ我々の実人生はそれほど意義深くはないし、ベンヤミンでさえ、そう感じられたのは、ごくまれな一瞬に過ぎなかったろう。我々の人生は、相変わらず砂をかむように無意味な断片にすぎず、そんなものをいくら取り集めてみても、そこに意味深い関連は何も見つからず、まるで判で押したようにあいも変らぬ退屈な毎日が続くだけのように見える。その断片と断片、無残に意味を奪われた瓦礫(がれき)と瓦礫をうまく組み合わせて、さながらジグソーパズルのピースを取り合わせるように、そこに思いがけない図柄を浮き彫りにするようなことが起こるのであろうか?

 たしかに華厳世界は、我々の経験の実感とは違っている。それは現実というより、ひとつの理想にすぎないのであろうか? それとも、華厳世界こそが我々の実相そのものであるのに、我々自身の意識の迷妄が、そのことを覆い隠し、それを我々に気づかせないだけなのであろうか? ちょうどあくせくと仕事に通う路傍に咲いていた草花に、失職して初めて気づくように。
 おそらく、この二つの「現実」の間に、「悟り」は存在するのであろう。つまり、見せかけの経験的現実を突破して、華厳の実相に気づくこととして。だがここで、この悟りの「理想」に飛びついて、それを人生の目標とすることこそ、我々が陥りがちな大きな迷妄にすぎないのだ。深遠なテクストを解釈して、華厳世界というものを悟りの目標として描き出したところで、そんなものは我々自身の悟りには何の関係もないからである。

 かつて唐に学んだ二人の高僧がいた。空海と最澄である。この二人は、性格も才能も対照的だった。空海は、何百年に一度出るかどうかといった万能の天才であり、そのことは、当時最高の文明国であった唐の最高の文化人たちにも、ただちにそれと知られた。流麗な中国語で詩を吟じ、学を論じ、教えを説き、かつ書をしたためて他を圧した。他方最澄は、国のために真面目に学問を修めて帰国したが、後で己れの学問には、何か重大な穴があったことに気づく。それはおそらく、空海という完成を間近に眼にしたからであろう。何という失態!
 空海が体現していた仏の真理が、崇高な尊厳をおびて眼前に現れたとき、愚直な最澄は、何かが自分には欠けていることを認めざるを得なかったのである。謙虚にも最澄は、年若い空海の前に膝(ひざ)を屈し、その最奥の真理を説き明かしてもらいたいと懇願した。初めそれは、最澄の知らない秘密の経典にあるものかとも思われた。空海に、その経典を写させてほしいと何度も使いをやった。
 しかし、仏の最奥の真理が、そんな巻物に記し得るようなものであったろうか? そんな考えそのものが、何か浅薄な先入見だったのではないか? 空海は最澄に明確な言葉を与えず、慇懃無礼(いんぎんぶれい)に言を左右するばかり。何か己れに思い違いがあるのなら、それを率直に言ってほしい、どんな罵倒(ばとう)も甘んじて受けよう、ただ真理が知りたいだけなのだ、と最澄は縋(すが)り付いた。
 それは、傍目(はため)で見ていても見苦しいほどであり、最澄の周りの弟子たちの中からは、最も有望な才能ある者から順に師を見限って、空海のもとへ走った。天皇は、両雄に対して等しく手厚い処遇を与えたが、実際には空海のほうに心酔していらせられる、ただ、お立場上そんなそぶりをお見せにならないだけだ、などと囁(ささや)かれた。
 こうして、高野山と比叡山に、日本仏教の二大殿堂が築かれた。見るに見かねて最後まで最澄のもとにとどまった古くからの実直な弟子たちには、自分たちには何か決定的なものが欠けている、完全な悟りに不可欠な何かが欠けている、という深い絶望と、是が非でもそれを得ようとする激しい情熱だけが残された。それは、最澄自身が死んだ後も、その弟子、そのまた弟子…と脈々と受け継がれていった。次々に新たな青年が比叡山に入り、この絶望と情熱の中で学び続け、消えていった。こうして数百年が流れた。
 世の中がようやく貴族の世から武士の世へと激しく鳴動し始めたころ、独創的な鎌倉仏教の開祖たちが陸続と現れたが、彼らはいずれも、空海の美しい完成を引き継いだ者ではなかった。彼らはおしなべて、比叡山での寂莫(せきばく)たる呻吟(しんぎん)の中から現れたのである。
 親鸞や道元といった先達たちの言葉に学ぶのも、もとより必要だが、それ以前に、悟りの確信に至ることもないまま一生を捧げ尽くしたのだ、という無念な思いの中で死んでいった名もなき者たちの存在を、決して忘れてはならない。それこそが、我々になお与えられていない真理の空隙(くうげき)を示唆し、我々を真の覚醒へと叱咤(しった)し続けるものだからである。  

 

(たじま まさき・哲学者、元千葉大学文学部教授)
著書に『魂の美と幸い』(春秋社)

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