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親鸞仏教センター通信
第76号 March 2021
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なりたくもない

親鸞仏教センター研究員 東 真行
 「君は『カラマーゾフの兄弟』の中にでてくるアリョーシャのような男が好きなんだろう。わしはドミートリイだよ」——こう語ったのは暁烏敏である。暁烏を善知識と仰ぐ西元宗助は、自著『凡人の求道』に「このお言葉は今にして深く身にしみる」と記す。旧満洲にわたり、「シベリア抑留」を経て帰国した今、ようやくその言葉を受けとめることができるのだ、と。

 アリョーシャやドミートリイというのは、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の登場人物である。カラマーゾフ家の三男アリョーシャは「神と不死」を信仰するキリスト者であり、多くの人々に愛される天性の好青年でもある。

  対照的に長男ドミートリイは放逸に耽り、「卑しさを愛する男」を自認する。彼は理想に身を焦がす気高さを有しながらも、父フョードルと財産や女性をめぐって争い続け、父と同様に淫蕩に身をやつしてしまう。好色漢のフョードルに向かって「こんな男がなぜ生きているんだ!」と絶叫するドミートリイ自身が、しかし父に似通ってもいるのだ。私はなぜ、自身が憎悪する者になってしまうのか。これがドミートリイの直面する難問である。

 それにしても、「わしはドミートリイだよ」とは何と恐ろしいささやきだろう。暁烏の代表的著作『更生の前後』には「釈尊成道の一念は、己れこれ悪魔也との自覚である」という言葉がある。魔を外なるものとして打ち倒すのではなく、自身を魔と知ること。つまり私というものは、なりたくもない何者かになってしまうのではない。そもそも根底から、なりたくもない魔なのである。

 ところで、なりたくもない者としてあるということは、たとえば老病死の現実からも認められるかもしれない。私たちが老い病み死ぬことを望まずとも、これらの苦は私たちにすでに組み込まれており、刻々と実現していくのみだ。この展転する苦を超える「不死」を仏教は説く。

 仏教の教主、釈尊を求道者に変えたのは、路傍の出家者との出会いであった。忌むべき老病死のさなかで、自身も苦を超える者になろうという驚くべき心が釈尊に生じたのである。無量寿経に説かれる法蔵菩薩の物語は、この釈尊の願いを根源的に継承しているのだろう。

 世自在王仏と出会い、法蔵はみずからも仏にならんとして本願を建立する。しかも、あらゆる衆生を仏という何者かに変えないことには、みずからは仏にならないと誓うのである。

 なりたくもない者になり果てるほかない衆生にとっては、まったく願ってもないおせっかいである。
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