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親鸞仏教センター通信
第68号 March 2019
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教えの伝承 —第一結集について思うこと—

親鸞仏教センター研究員 戸次 顕彰
 仏説が伝承されてきたことの意味を少し考えてみたい。中国では「高僧伝」と題される仏教史書が出現し、その編纂(へんさん)者たちは、仏法を伝えた訳経僧の伝記をその初めに置いた。命がけで険しい道のりを越えて仏典を伝える人がいて、それを漢語に翻訳した人たちがいた。この功績によってこそ中国に仏教があることを示したものである。
 振り返れば、釈尊の教えは「第一結集(けつじゅう)」を経て伝わったとされる。釈尊入滅の後、王舎城に500人の阿羅漢たちが集まり、40余年にわたって説かれた法と律とがここで確認された。釈尊がいなくなって自由になれたというある比丘の発言を聞いて、教説の雲散霧消(うんさんむしょう)を避けるべく、この結集を主催した人物が摩訶迦葉(まかかしょう)である。
  釈尊が入滅されるとき、摩訶迦葉は釈尊入滅の地クシナーラーに向かっていた。その途中で一人の行者から釈尊が7日前に亡くなったことを知らされる。一方、ちょうどそのころクシナーラーでは、マッラ族の人たちが釈尊のご遺体を火葬しようとしたところ、神々が風を吹かせて火を点(つ)けることができなかったと伝えられている。その理由は、神々の意向が〔彼らとは〕異なっているからだという(以上、中村元訳『ブッダ最後の旅』〈岩波文庫〉を参照)。摩訶迦葉が到着して釈尊の足(みあし)を礼拝するまで、荼毘(だび)に付してはならないということか。いずれにしても、舎利弗(しゃりほつ)・目連(もくれん)が釈尊より先に世を去ったこの時点で、仏滅後のサンガが摩訶迦葉の存在なくしては語れないことを暗に意味しているようにも思う。
 ところで数年前、脚本家などで知られる三谷幸喜氏が『清須会議』(幻冬舎、2012)という作品を上梓し、その後に映画化(2013)されたことがあった。1582年、天下統一を目前とした織田信長が明智光秀の襲撃にあって自害した「本能寺の変」の後、信長公ゆかりの清須において、織田家の重臣が集まって開催された会議(「清須(州)会議」)がその後の天下の動向を決したという点に三谷氏の着眼がある。会議が歴史を動かすという点に、なにかと似ているなと感じることがあった。
 話を元に戻すと、仏教サンガの会議をまとめた摩訶迦葉とは一体何者なのか。結集とは単に教えが唱えられただけではない。それがサンガの総意として承認されなければ仏説として確定されなかったであろう。「このように私は聞きました」といっても、500人もいる大規模な会議がスムーズに行われたのだろうか、などなど。多くの謎をはらみながらも、こうした経緯は仏教の方向性を決定づけたことと思われる。そして後に、「如是我聞」から開始される大乗の経典が成立し伝承されていくのである。
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