親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 出版物紹介 > 親鸞仏教センター通信
出版物紹介
機関紙 親鸞仏教センター通信
親鸞仏教センター通信
第64号 March 2018
>> PDF版はこちら
宗教を具体的に生きていくということ

親鸞仏教センター研究員 戸次 顕彰
 「今更、心より踏めとは申さぬ。ただ形の上で足かけ申したとて信心に傷はつくまいに」
「我々とて本意から転べとは言うてはおらぬ。ただ表向きな、表向き転んだと申してくれぬか。あとはよいように、するゆえ」(※引用者注:転ぶとは棄教のこと)
「ほんの形だけのことだ。形などどうでもいいことではないか」
「形だけ踏めばよいことだ」 (新潮文庫『沈黙』より)

 親鸞仏教センターの研究会で、遠藤周作の文学にふれる機会があった。キリスト教の神父の体験を通して日本人の宗教性について考えるためである。そして数日後、この学びを機縁として、当センターの研究員・職員一同でマーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙—サイレンス—」を鑑賞した。信仰に生きること、それを弾圧すること、さらには殉教や裏切りなど、さまざまな課題を含んだ作品である。そのなかでどうしても気になる言葉があった。そこであらためて小説『沈黙』を読んでみたら、やはりあった。「形」や「表向き」という言葉である。
 冒頭の引用は、小説のなかで、踏み絵を迫る日本の役人や通辞が、主人公ロドリゴ神父に語りかけた言葉である。「ただ形の上で」「表向き」「ほんの形だけ」と言って踏み絵を迫っていた。形式とか表向きとか、そういう問題ではないのだろう。でも読者・視聴者の立場として、これ以上の残酷な光景は見たくないという願いもある。
 宗教において、また信仰において、こころや精神の問題はもちろん重要である。しかし、だからといって「形」や「表向き」の行為が二次的なことになるとは限らない。踏み絵という具体的行為をめぐって「形などどうでもいいことではないか」と通辞は言うが、そもそも心より踏むことと、形式的に踏むことに違いなどあるのだろうか。
 ところで、ある中国人仏教者が仏道を説明する際に中国古典『韓非子』の故事に言及している箇所を最近目にした。その故事によれば、王がある画家に最も描きにくい絵は何かと問うたのに対し、画家は「犬馬最も難し」「鬼魅最も易し」と答えたという(岩波文庫『韓非子』第三冊、34頁)。犬や馬は我々の身近に具体的な形をもって存在しているからである。一方の鬼魅の類はそうではない。だから描きやすいのである。仏道のことで言えば、抽象的な事柄よりも具体的なものこそ考察しがたいというメッセージとしても受け取ることができる。宗教を具体的に生きていくことの意味を考えていく機会をもらった。
ご購入・購読のご案内
Backnember ページトップへ
アンジャリ親鸞仏教センター通信現代と親鸞『教行信証』研究検証プロジェクト真宗聖典
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス