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親鸞仏教センター通信
第60号 March 2017
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生活の土壌

親鸞仏教センター研究員 中村 玲太
 どこまでも続くこの日常生活が厭(いや)だった。星野源が言うように、「非情な現実を目の当りにしながら、人は淡々と生活を続けなければならない」(文春文庫『そして生活はつづく』より)。これは厳然たる事実であろう。しかし、ここではないどこかに、生活から離れた何かに依るべき世界があるはず。そんな願望とも妄想ともつかない淡い、危うい思いがここまで自分を動かしてきたように思う。だが、この日常はどこまでもこの日常であり続けてきた――。

 鈴木大拙は、1930年ごろに大阪朝日新聞に寄稿した「禅僧生活」(講談社学術文庫『一禅者の思索』所収)に、「普通一般の生活というのは広く見ればいわゆる経済・政治・軍事上の経営及びその実行である。個人的にいえば力と利と名との飽くなき逐求である」としたうえで、禅僧の生活とはここからの転換をなす「普通にいう意味の実際生活の否定」だとする。そして、「禅生活は何故にそんな否定をするのかというに、この否定がないと人間は現実以上に出られないからである。禅生活は禅者だけがやるのでなくて、つまり人間全体の要求を反映したものに過ぎない」と。

 確かに、「力と利と名との飽くなき逐求」のところに積み上げられた社会的ステータス、生活水準、家庭等にしても、それらが自己の帰すべき依り処、あるいは自己を言い表すものとはなりえないならば、それらを人間生活の全意義だと考えてはならないであろう。もっと確固たる帰すべきものとは何か。繰り返される途方もない日常のなかで、それを超えた何かがあることを示してほしい――こうした祈りにも似た要求が人間の根底に流れている。

 しかし、「現実以上に出」るとはどういうことなのであろうか。はたして煩悩しか見当たらない煩悩具足の凡夫が、この現実以上に出られるかは難問である。どこに行こうとも、どんな出世間的な世界だけを見つめようとしても、この現実、日常の形式から免れることはできないのではないか。煩悩具足であると自己を信知するということは、生きつく世界はこの現実しかないと知ることと表裏一体だと考える。

  とは言え、この世界はやはり虚妄でしかない。そんな世界を否定しながら、しかしここを否定しえないという思い。この矛盾した思いは、論脈は違うが加藤秀一の表現を借りれば、「それが人間を成り立たせるような絶対的な条件としての矛盾」(『親鸞仏教センター通信』60号5面)と言えるものであり、根源から呼びおこされるどちらの思いからも決して目を背けてはならないように思う。その両極を行ったり来たりすることが、人間の日常生活を支えるものなのかもしれない。
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