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親鸞仏教センター通信
第5号 March 2003
[巻頭言] 純粋な祈りとは?
親鸞仏教センター所長 本多 弘之
 「祈り」は、一般的には「宗教の原点であり、本質だ」とされている。ところが、浄土真宗の他力の信心にとって人間が祈るという行為には、「自力」の依頼心が入るからというので、「祈りのこころ」を信心に加えることを否定してきた。ただ阿弥陀の本願による救済に全面的に帰依して、自己の全存在を感謝していればよい、ということだったのである。

 もし、「祈り」を肯定するということが、真宗の信心にあるとするならば、人間が特定の事柄について祈ることが、本願力に帰命するという他力の信心にどういう意味で関わるのか。「宗教に祈りが本質だ」としても、親鸞教学の本質にとっては、かなり厳密な検討が必要なのであると言えよう。

 この問題は、親鸞聖人が法然上人に出遇われてから、おそらく念仏を信ずるこころについて自問自答されるなかから、判然と了解せずにはおれなかった大事な課題である。純粋な信心が、いかにして愚かな煩悩具足の凡夫のこころの上に成り立つのか。本当に人間の違いや情況の差異を超えて、だれにおいても本願の救いが頂けるとはどういうことなのか。もし、本願が一切衆生に平等の救いをもたらすと言うなら、人間においてどういう事実が大切な条件なのか。そういう問題の答えとして、「法然上人の信心も我が信心もひとつなり」という確信を持たれたのであろう。すなわち、人間にとっては「真実の信心」のみが、平等の救済の必要十分条件なのである。しかも、どういう存在であろうとも(罪悪深重・煩悩熾盛(しじよう)の衆生をも包んで)真実信心を恵もうとするのが、如来本願のご苦労であると頂かれたのである。

 そうすると、「祈り」という人間の心情は、この真実の信心にとってどういう役割になるのであろうか。今から40年余り以前に、鈴木大拙師が『教行信証』を翻訳された折、「本願」の訳語に困られて、“Prayer”をあてられた。キリスト教の伝統によって言葉も理解されている英語圏に、浄土教の思想を伝えることの困難さを教えられたものである。この言葉については、曽我量深師に、「欲生心は、如来の祈りである」という論考がある。人間の根源に一如からの大悲の呼びかけが、「祈り」として響いているということなのであろう。
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