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親鸞仏教センター通信
第26号 June 2008
[巻頭言]安心ということ
親鸞仏教センター研究員 山本 伸裕
 安心して暮らせる社会を築くことは、長きにわたって人類が追い求め続けてきた悲願でもある。安全、あるいは安心をもたらす技術やシステムという点でいえば、現代の社会は格段に進歩してきたといってよい。にもかかわらず、食生活や住環境、エネルギー供給から防衛システムに至るまで、安全・安心にかかわる話題がマスコミなどに登場しない日はないというのはどういうわけなのか。
 「自力門の安心は軽く、他力門の安心は重い」(『宗教哲学骸骨』)というのは、清沢満之の言葉である。技術やシステムといったものは、人間知による自力的な創意工夫の所産にほかならない。実際、技術やシステムがもたらす安心は、案外、脆ぜい弱じやくなものである。それらが絶対的に完成されたものでない以上、技術やシステムへの信頼から導かれてくる安心もまた、絶対的なものでないことはいうまでもない。
 はたして絶対的安心が獲得されるなどということが、現実にあり得るだろうか。清沢が「他力門の安心は重い」というとき、そこに表白されているのは、「自力無む功こう」の感得であり、ここには無限=絶対なるものに対する全面的な信の裏づけがあるのである。  この場合の「信」とは何であるか。それは、この卑小な自己という存在をひっくるめて、天地間(宇う内だい)のあらゆる存在は、無限=絶対なるもののはたらきのうちにあるもの、無限=絶対なるものの一部をなすもの、という確信である。
 いったん、そうした信念を獲得した者は、何がどうあれ、たとえその身が如何なる状況下に置かれているとしても、自己の境遇をありのままに絶対のあらわれと受け止める心のあり方に立ち戻ることができる。言い換えれば、自己の一切のはからいを超えて、世界の側から安心が与えられることになるのである。このような心のあり方をこそ、境遇や状況に左右されないという意味で、絶対の安心と呼ぶことができよう。
 現代社会にあって、不安がなお根強く覆いつづけているという事実は、昨今の自殺者の急増によっても証明されている。もとより、人間はどこまでも限りある身を生きている存在である。そうである以上、その過程で出遭うさまざまな不安を完全に払ふつ拭しよくすることはできないであろう。ただ、自己存在についての確たる信念が獲得され、いささかなりともそこに足場を見いだすことのできる者は、自己という存在が、無限のはたらきのうえに「落らく在ざいせる者」であるという絶対の安心に、いつでも立ち帰ることができるのである。
 これはほかならぬ宗教の安心である。私たちはそうした宗教のもたらす安心というものを、いまいちど真剣に考え直してみるべきではないのか。現代を覆う不安の根源を考えるにつけ、私はその必要性を強く感じさせられるのである。
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